4月18日、午後3時から恒例となっております「四海安穏祈願法要」を執行いたしました。
この法要は、奈良時代、海龍王寺が宮廷寺院となり「平城宮内道場」となった時から始められ、遣唐使の航海安全や世界の平和を祈願していた法要です。
海龍王寺に残る、西金堂・五重小塔は、奈良時代の法要を知っている唯一の証人でしょうか。
平安京遷都・遣唐使の廃止等から修されなくなりましたが、海龍王寺の根本法要であることから平成16年に復興いたしました。
法要執行にあたり、数日前から準備を始めますが、各地からお送りいただいた海水の数が増えるにつれ、気分も締まってまいります。
沖の海水を汲むため、わざわざ船を出していただく方。
神事(仏事)に使うので「日の出と同時に」汲んでいただく方。
思いを記して来られる方。
海水だけでなく「汲んでいただいた方の思い」も一緒に送っていただいていることがわかります。
本堂に飾る幡(はた)などは、私が生まれる前に先代および檀信徒の方々が求めたもので、飾っていると、先に逝かれた方々のお顔や声が甦ります。
当日、献笛を行っていただく雲龍師にご挨拶させていただいた際、前夜に思案した挨拶文の雲龍師の紹介文と、雲龍師がおっしゃった献笛の意図が「寸分違わず一致した」時、「この日、この時、一緒に法要を勤めさせていただく定めだったのだ」と強く感じました。
今年の法要は、私を含めて4人の僧侶で勤めさせていただきました。
宗派内における「声明のスペシャリスト、読経のスペシャリスト、讃・鉢のスペシャリスト」に出仕していただきましたが、導師の私が居なくても法要が進んでゆくかと思うぐらい完璧でした(^^;
海龍王寺は、他の大寺とは異なり小寺ですので、僧侶と参拝者の方々の距離が非常に近く、一番近いところでは1メートルないかもしれません。
(いうなれば、ライブハウスのようなもの)
距離が近いということは、僧侶の所作(作法)が全て見えることとなり、少しでも間違った所作や荒い所作を行うと、参拝の方の目に留まってしまいます。
声明も読経も所作も、ごまかしが効かないので、本物でないといけないのですが、全てにおいて本物でした。
壇上に安置する「龍王御霊」も、古来より海龍王寺に伝わる正真正銘本物ですし、参拝の方に受けていただく「龍王の御分身」も正真正銘の御分身です。
法要の途中で雲龍師の献笛がございましたが、声明が続いているかと思わされるような、まったく違和感ない見事な演奏であったことから、うっかり聞き入ってしまい、修法の進行を忘れてしまいそうになりました。
法要が終わり、参拝の方が誰も居なくなられた本堂で、ひとり片づけをしている最中「私は何と幸せな坊さんなのか」と思いました。
平城宮の内道場で執行されていた法要と同じ法要を執行させていただくことの重みと責任とを、あらためて感じた平成28年4月18日。
機会があれば、正真正銘の法要を、ぜひご体感ください。