こんにちは~。

こちらは曇りの神奈川県中央部です。

前回では暗い記事になってしまい、心配をおかけしてすみません。

こんなブログでもお読み頂き、誠にありがとうございます☆彡

 

その後、励ましのコメントやメッセージなど頂き、奮起してきました。

私だけじゃない。世の中にはもっと酷い鬼義母がいる。

もっと世間知らずで嫁を傷つける夫がいる。と痛感しました。

私なんかまだ自分の好きな事をまあまあできるだけマシだ。

 

ただ以前、生涯忘れられない嫁いびりがあったことは他にもありました。

ある秋の日、主人の実家に行った際、ものすごい古着のゴミ袋大3袋を

「これからはこれを着なさいよ~。いいものばかりよ。」

と義母に押し付けられた時。中身は樟脳のにおいがするボロ着ばかり。

主人は何とも思っていない様子。それが私の大きな心の傷になりました。

 

そして次には義両親が弁護士と組んで「夫婦関係の見直し(離婚に向けて)」

の調停を起こしたというこれまた凄惨な嫁いびりがありました。

 

信じられない事ですよね。義理といえど大きな事件もないのに調停裁判なんて。

義両親は離婚向けの調停をと弁護士にお願いし、弁護士は何食わぬ顔で

主人と待ち合わせし、主人は弁護士に自分の代わりに調停に出てくれと

委任書にサインしてしまったのでした。義両親の思惑も考えもせずに。

調停になれば、私が大人しくなると思ったのか。幼稚な思考です。

 

この件は、調停の1回目の出廷の前に私が激怒し、主人の両親に訴えました。

しかし聞く耳持たず。主人がようや事の重要性に気づき両親に抗議し

私は弁護士に抗議し電話で喧嘩となり、結局調停は中止となりました。

 

これで終わりと思いきや、義両親の嫁いびり「嫁追い出し工作」は収まらず

今度は私の実家の父親に電話し「病気の娘(私の事)を引き取れ」

「何て酷い娘だ」「お宅の娘さんがいたらうちの息子の人生はボロボロになる」

「まだ返事をくれないのですか。早く引き取ると返事してくださいよ。」

「とにかく娘を引き取れ!」などとしつこい電話攻撃が始まったのです。

 

「娘(私)を引き取れ!」電話は私の実家の父親の職場までしてきました。

亡き父親はどんな思いでいたでしょう。攻撃は3か月くらい続いたそうです。

それでも亡き父親は家族(毒母含む)に言わず自分の胸にしまっていました。

だから私達夫婦もその事を全く知りませんでした。

 

それが発覚することになったのは主人の父親から私の実家の父親への攻撃が

ちょうどパーキンソン病を患い症状が出てきて父がタクシーを呼んで病院に

行こうとする時に、ちょうど電話がかかってきた事がきっかけです。

 

最初は私の父が電話に出ましたが「いつ娘を引き取るという返事を出すのか」

といういつもの強要が続き埒が明かず、とりあえず電話を毒母にかわって

父と妹は待たせていたタクシーで病院に向かい、毒母が電話攻撃の相手

となりました。この時の電話攻撃は約1時間にも及んだそうです。

 

今までブログで書いたように私の毒母の性格はきつく、かつ頭がまわる人です。

主人の父親の「娘を引き取れ」攻撃に大反撃し、最後は義理の父親が電話を

切ったことで、一連の「病気の娘を引き取れ!」攻撃に終止符が打たれました。

 

その電話のあと毒母から私に電話がきて、私と主人は事の次第を初めて

知って驚愕しました。主人は私の両親に何度か謝罪し、主人の両親に私と

主人が電話し大げんかとなり、幕を無理やり下ろしました。

 

この日は、あの「毒母」にはじめて感謝した日でもありました。

あの毒母の電話で反撃・・・アンタは過保護なんだよ!娘を引き取る?

バカな事を言うんじゃない!パーキンソン病でタクシーを待たせている

主人に何て電話をかけてくるんだ!引き取れるワケないだろ!

非常識なのはそっちだよ! 病人を何だと思っている!タクシーを待たせて

いるんだ。うちの主人を殺す気か!等々。。さすが毒母。口もまわった。

 

電話攻撃は終わったのは良いものの、その日病院に行くことが遅れた父は

誤嚥を起こしていてパーキンソン病は悪化してしまい、入院がたびたび

続くようになってしまいました。それは後悔しても仕切れません。

父親が亡くなったのはその5年後くらいでした。

 

本当に申し訳ない、こればかりは実家の家族に頭を下げても収まらない

出来事でした。父親のパーキンソン病を悪化させた要因はいくつかある

けど、義理の父親の電話攻撃が要因の1つだったのは間違いありません。

 

私のせいではありませんが後悔、申し訳なさの気持ちが収まらず、

一連の「嫁いびり、嫁追い出し工作」が頭から離れず、ついには

義理両親に似たひとを観ると動悸がする、ボロ着の山を見るとしんどくなる

その時の出来事、言葉を何度も思い出す、パーキンソン病で亡くなった父の

亡くなった時の無念そうな顔を思い出す。などのフラッシュバックが

たびたび起きるようになりました。フラッシュバックが起きると辛くて

かがみこんでしまいます。何も手につかなくなってしまいます。

 

元気がない、化粧も途中で止めた時はこんな感じです。

 

 

かかりつけ大学病院の精神科には通い続けていて、ついには「PTSD」

の診断が下りました。(心的外傷後ストレス障害)

そして震えを抑える「リボトリール」という薬がさらに追加されました。

勿論、今でも精神科通院でカウンセリングを受けたり薬をもらっています。

 

今回の毎日だるい状態、術後倦怠感が続いた時もフラッシュバックは

おきましたが、薬や治療の成果もあったのか、以前より軽くなってきました。

精神科医やこの病気に関わってくださった方々に感謝の念が堪えません。

 

ようやく起きて外出した私がやったことはまずは食べまくりです。

大好きな麺類と、お気に入りのポン吉や和食屋さんでの食事から。

 

 

 

 

 

そして愛猫ちゃんの検査通院で人と動物の愛を確認。

 



 

もちろん自分の通院も怠りませんでした。

 

 

 

春休みになった姉妹ちゃん達と半日ゲーセンで遊んで、最近得意の

「チャーリーズエンジェル(古い)ポーズ」を取って自己満足したり。

 

 

趣味や人とのつながり、美味しいものはいつになっても心を癒します。

皆様のブログを読むことも大きな楽しみです。

何度くじけても、立ち上がってやるぞ!

 

 

それではみなさまも時節柄、お体、本当にご自愛下さいませ☆彡

 

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