いつだって、どこからだって、人生ははじめられるし、なにかを変えることだってできる。

 目を閉じ、自ら否定することさえしなければ、いつだって目の前にたくさんの道がひろがっている。

 

 自分ではとてもしないような選択をしている人たちをみると、つい「どんなきっかけがあったんだろう」とおもってしまう。なにかきっかけさえあれば自分もできるかもしれないし、きっかけがないから自分は今の現状に甘んじているんだ、と感じているのかもしれない。

 

 19歳のとき、「きっかけ」を求めるのをやめた。すてきなきっかけがあったひとがいるのではなく、自分でステキに動いたひとがいるだけなんだ、と気づいたからだ。今この瞬間に、なにかのせいにして、だれかのせいにして、環境のせいにして、自分の選択肢をあえてなくしている1人のわたしという存在がいるだけなんだ。

 

 大学に入学して、サークルに入って、卒業して、就職をする。そんなレールを多数のひとがあゆむなかで、ぼくは浪人をして、入学をして、サークルに入らず専門学校に行き、休学をして、自分で生活できるようになるように動きはじめて、卒業をして、起業をした。なんだか秩序立っていないようにみえる選択をしてきた。「なんで?」「やめなよ」「むりだよ」「まずはこっちからでしょ」などなど、たくさんのひとに言われてきたからか、自然とそうした人たちと違った見方で世界やひとを眺めるようになっていたのかもしれない。なにが正しいかではなく、なにをしたいのか、どの道を選びたいのか。それが力を与えてくれたんだと思う。

 

 いつだって目の前に、いくつもの選択肢がひろがっている。昨日とは違う場所に、今日から引っ越したっていいんだ。昨日とは違うタイプの服を着て、今日は会社に行ったっていいんだ。昨日までの自分と今日の自分を一緒にさせる必要もルールもない。

 

 でも新しいことをはじめたら、大変かもしれないし・・・・と思うかもしれないけれど、新しいことをはじめて大変なことと、現状をつづけて退屈なこととでは、どちらの方がいいのだろう。いや、もっといえば、新しいことをはじめたら超簡単かもしれないし、現状を続けていたらめちゃめちゃおもしろくなるかもしれない。わからないですよね、先のことなんて。わからないなら、どっちでもいいんじゃないかなぁとも思ったりもします。

 

 自分で自分の可能性を否定しなければ、いつだって今目の前に可能性はひろがっている。トランプさんが大統領になった。知識人や見識のある専門家と呼ばれているひとたちの多くが「なるわけない」とテレビや新聞で言っていたけど、本当のことを言えばよかったんだ。「なるわけないとおもうけれど、なる可能性がないわけではない」。

 

 なるわけない、というのはこれまでだったら、という前提がいつも含まれている。これまでだったら、あなたには無理だと思う。これまでだったら、やめておいたほうがいい。そう言われているだけだ。反対されるのも「これまでだったら、やめておきなさい」というだけ。だから、これまで通りじゃなければいいだけ。

 

 これまでとは違う選択をする方法さえわかっていれば、

 いつだってどこからだって人生は変えられる。