1日を1日を大切に過ごしていく。1日が終わるときに「いい1日だった」「充実していた」と思える日々を積み重ねていけば、3ヶ月後、1年後、10年後と、とんでもない人生になる。もちろん毎日が「最高だ!」と思えるわけではないし、きっとそうじゃなくてもいい。「今日がこんな1日だったのは意味があったな」と感じることができて、眠りにつければ、それはとても意味のある1日のはずです。「・・のはず」という言い方をぼくがするのは、本当に意味があったのか、ないのかなんていうのは神様しかわからないからです。わからないなら、こちらが勝手にしあわせになったらいいんだ、とぼくは思うんです。

 

 人生はトーナメント戦ではなく、リーグ戦だ、とある人が教えてくれました。それはつまり、「勝ち・負け」ではなく、「1試合1試合ごとに、テーマや課題をもって取り組み、トータルで勝てばいい」という世界観です。ぼくはこちらの方がとてもしっくりきます。というのも全国で接しさせてもらっている方々のなかには、「今この瞬間の自分と他人を比較して苦しんでいる」という状況がとてもとても多いからです。嫉妬や劣等感や、焦りや停滞感も、現在という長い人生の「点」で判断してしまっています。

 

 ぼくがいつも思っているのは、「こうした日々を積み重ねていくと、どういう未来になるんだろうか?」ということです。「今なにが手に入っているか」「今なにが手に入っていないか」という「GET」という視点ではなく、「これからどうなっていくのか」という「BECOME」という視点が心の安定と充実感をもたらしてくれます。

 

 だから、「なにをするのか」「なにをしないのか」「どんな結果なのか」「どんな失敗なのか」ではなく、「今何者になろうとしているのか?」という問いを優先的に考えてみると、大きな方向性が定まっていきます。「何者になるのか」というものは、他人と比較ができるものではなく、あなただけの絶対評価です。比較評価で、何を手に入れた、どんな結果がでたか、というのはときに苦しみをもたらします。そして、結構多くの場合、ある物差しで比較したとしても、上位にいる人は最初から上位で、下位にいるひとはそのまま下位にいてしまうことも多いのです。相対的な物差しで自分を測るのではなく、自分がどんな存在になろうとしているのか、という「オンリーワンな物差し」で測る方が安定感も方向性も高まっていくのです。

 

 今年はどんな年だったか?という問いを年末に向けて問うひとたちが増えていきますが、その多くは「なにが手に入って、なにが手に入らなかったのか」という「GET」という点で評価してしまいます。それだと本質を見失い、短期的な視野でおわってしまいます。今年の上に、来年を重ねていくためには、「今年はどんな人間になったのか」という点をみていくといいのです。「え?どんな人間になったのかってどうやってわかるの?」ともし思ってしまうとしたら、きっと何が手に入って、なにが手に入らなかったのかという「GETの世界」で生きすぎてしまっていて「どんな人間になるのか」ということに感じづらくなってしまっているのかもしれません。

 

 わたしはどんなひとになったのか?

 わたしはどんな人になりたいのか?

 

 そんな問いを追いかけているので、「今年はあと残り何ヶ月だ」という思考ではなく、「今ここからなにをしていくか」という「今から未来」というところに集中していることができています。

 

 少しでもヒントになったら幸いです。

 

 池田貴将

 

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