自分なりのポリシーを持つ。

 

誰かから言われたルールとか、自分の過去から引きずっている「これまでやってきたから」という惰性を抜け出すことができれば、新しい結果はどんどん生まれます。

 

誰かが自分の人生に答えをもっていることってありますか?

さまざまな人たちが、その人自身の人生や体験や経験から、さまざまな指摘や助言をしてくれることがあるとおもいますが、それを「採用し、選択する」というのはわたしたちひとりひとりが行うべきことですし、わたしたちひとりひとりのみが行うことができることです。

   また「これまでずっとやってきたから」という理由でなにかを選ぶこと、なにかを行うことの危険性はますます高まっていくでしょう。

 

これまでずっとやってきているから、という考えで日常を過ごしていると、今日していることは、以前していたことと同じになります。

いつのまにか「今日=過去」となっているのです。

 

今日している行動のなかで、これまでに取っていなかった行動をいくつあげることができますか?

入ったことのないお店に入りましたか?

話したことのない言葉を話してみましたか?

考えてみなかった可能性について考えてみましたか?

気づかないうちに、「過去のなか」を生きていないでしょうか?

気づかないうちに既成概念ができあがっていないでしょうか?

「これはこういうもんなんだ」とか「これはこうしなきゃいけないんだ」とか。気づいたら自分にとってベストとなることを諦めていないでしょうか?

 

ぼくが大学生になったばかりの頃、周りの大人達や同級生は、「大学生のうちしか遊べないから、存分に遊んだ方がいい」と言っていました。

 しかし僕はそうじゃないだろうと思っていました。それは決して、モラトリアムに反対しているとか、大学は勉強する場所だとか、そうしたどこかの誰かが言っている考えではなく、「大学のうちしか遊べない」という「常識」は、とても受け入れがたいと思ったのです。「社会人になってからの方が、お金ももっているのだから、絶対大学生のときより遊べるだろう」と思っていたのです。

 もちろん、「大学生のころは遊べたけれど、社会人になってから遊べなくなった」という人もいるでしょうし、「大学生のころも遊んだし、社会人になってからも遊んでいる」という人もいるでしょう。

 

一般化したことを、まるでそれがすべての人に当てはまるかのように考えをもってしまい、自分の選択肢を狭めてしまっていることになかなか気づかないのです。


それはとてももったいないことです。

 

当時の僕がずっと考えていたのは「なぜ制約されることを選ぶのだろう?」ということでした。

 自分で勝手に「将来は自由じゃなくなる」となぜ選ぶのだろう?と不思議でした。

 

だから、「どうしたら制約されないでいられるのか?」「どうなると制約されてしまうのか?」ということをよく考えていました。

 

「自由になりたい」や「好きなことをやる」ということはあまり考えたことがありませんでした。同級生でも、出会った社会人の方にもそのように語る方はいましたが、「この人のいう自由ってなんなのだろう?」「好きなことをやるっていうことは、どういうことを言っているのだろう?」ということが聞いていてハッキリわかることはありませんでした。

 

ぼくにとっての関心は、「自分の行動範囲や人生を、狭めさせているものは何なのだろうか?」ということでした。

 お金や時間や住んでいるところや学歴や年齢など、表面的に気になることがあっても、自分と同じ条件で制約がないひとがいるのであれば、それは本質ではない、ということです。

 (機内で書いていたので、羽田空港から講演会場へ移動しました。これから350名の講演。今は楽屋です。)

 

 新しいことをやるとき、どうしても「結果を出す」ことを期待してしまいますが、心理学のなかでわかったのは、

「 落ち込むというのは、起きている現象への反応ではなく、期待していたことへの反応だ 」

ということです。

 つまり、期待していたことと現実に起きていることの差に対して落ち込んだり、イライラしたりしている、ということなのです。

鍵になるのは、「期待」を「感謝」へ変えること。

期待はストレスを生み、感謝は次の一歩を照らし出す。

 (講演が終わり、次の日になり、これから1日コンサルティングなのですが、その前のカフェで書いています。)

 

自分なりのポリシーをもつ、ということが重要になってきています。

 「どういうポリシーをもったらいいのか?」

 という問いでは行き詰まりますし、それではポリシーがないことになります。

 

「どういうポリシーをもつことが、

 過去ー現在ー未来という自分のストーリーにふさわしいのか」

 

という視点が大切になります。

 

ひとりひとりの過去が異なるということは、

ポリシーという信念や信条は、万人に受け入れられるものというのを見つけるのが難しいということでもあります。

 いや、むしろ「どういうポリシーをもつことがいいのか」という問いを発するひとは、「自分のポリシーをもったら、決してそれを変えてはいけない、と思っているのかもしれません。

 

決めたものは変えてはいけないわけではないのです。

ポリシーをもつのが苦手なのではなく、一度決めたポリシーをやめるのが苦手なのかもしれません。

 

「よし方針変更!」

 

それはいつ、どんなタイミングで、

なんのきっかけがなかったとしても行っていいのです。

 

変わるためにきっかけは必要ないのです。

そう思ったら、それをやっていいのです。

 

だから、必要なのは、勇気ではなく、許可なのです。

はじめる勇気なんていうものよりも、やめていい許可を出せれば放っておいても始められるひとは増えて行くのです。

 

やってみるとどうなるんだろう?とおもいませんか?

なんのきっかけもないのに、やめたり、はじめたりしてみる人生になったら、どうなるでしょう?

 

「原因があって結果がある」という物理の世界ではなく、人間はもっと複雑で曖昧な世界を生きています。

 

だから、ポリシーが変わることは問題ではなのです。

 

日々新たな発見とともに、生きる上での前提が新しくなることもあるでしょう。

 

だから大事なのは、ポリシーが変わったかどうかではなく、常にポリシーをもっていることなのです。