「 情熱は成功のエンジンだ 」
ーアンソニーロビンズ
ぼくが大学を卒業してすぐにアメリカへ行き、
学んだセミナーのなかで彼はそう教えてくれました。
アンソニーロビンズが世界中のリーダー達と関わってくるなかで、
彼らはなにかしらの強烈な情熱をもっていたそうです。
売上を上げることに情熱を持っているひともいれば、
健康になることに情熱をもっているひともいれば、
貧困をなくすことに情熱をもっているひともいれば、
ダンスや芸術に情熱をもっているひともいます。
「これをやったらうまくいく」という「やり方」はその人の「情熱」と
どれだけマッチ(一致)しているのかということが鍵だといつも思います。
つまり観察している中で思うのは、
「 情熱 × やり方 = 成功のレベル 」
ということです。
だから、「好きなことをやることが大事」という「情熱中心」の発想も大事だし、「やり方が間違っていれば結果はでない」という「方法中心」の発想も大事だと思います。
ただ、本質は「マッチしているか」です。
どれだけ結果がでるやり方だったとしても、
自分の情熱が一気に冷めてしまうようなやり方であれば、
実行できないかもしれませんし、継続できないかもしれません。
つまり、実行もできず、継続できなければ、
放っておいても成功のレベルは低くなってしまいます。
ここでいう成功とは、ビジネスのことだけをさしているわけではないことはご注意ください。
健康でも、人間関係でも、趣味でも、スポーツでも、
「情熱とやり方のマッチ」が、それぞれの分野の成功の鍵です。
「 情熱とは、大好きと大嫌いの子供だ 」
ーロバートキヨサキ
お金の教育家のロバートキヨサキ氏の言葉の中には、
情熱ということを2つの側面から取り上げられています。
「大好き」と「大嫌い」。「大好き」と「大嫌い」の両面が、
その人の情熱(パッション)を生み出してくれる、ということです。
実際に、アンソニーロビンズのセミナーの中で情熱をみつけていこう、というワークのときも、
「大好きなことはなにか?」「大嫌いなこと、許せないことはなにか?」
という二つの側面を問います。
情熱をもって動いている人たちは、大好きなものだけではなく、
「許せないもの」をもっている人たちが本当に多いです。
「許せないもの、大嫌いなもの」とは「愚痴・不満・不平」とは全く異なります。
「愚痴・不満・不平」は、それを変えるための行動を起こすことはありませんが、
情熱をもっている人たちの「大嫌い・許せない・放っておけない」というものは、行動を導きます。
「なんでこんなルールに縛られた服装しかみんな着ないんだ!」という怒りは、
シャネルに斬新なデザインのファッションを生み出させました。
「なんで貧しい国では教育を受けることができないんだ」
という放っておけないという気持ちが、貧困地域でIT技術をつかって世界中の学びにアクセスできるようになるサービスを展開している人もいます。
ぼくの場合は、情熱をみていくときに「ぼくはできないと思う」と目の前で大切な友人が夢を諦めたことがとても嫌なこととしてありました。
当時のノートを見ると「 I Have Give UP!!! 」と大きく書いてあります。
当時は、アメリカから帰っても就職先もありませんでしたし、アルバイトもしていませんでしたし、スケジュールも空っぽでした。
でも「諦めたくない」という気持ちなんていうレベルではなく、「諦めるって大嫌いだ!!」という情熱があったんだと思います。
一方で、大好きなものもきちんと存在していました。
「学ぶこと、本を読むこと、学びを分かち合うこと」。
でもとても不思議だったのは、ただ大好きなことを見ていたときは、
さほど「情熱!」と叫べるような感じではなかったのに、
「大嫌い!」というリストを書いたあとだと、自分が明確になにに情熱をもっているのかが浮かび上がってきたのです。
自分が大好きなのは「学び、研究し、メソッドをつくり、伝えること」。
そして、大嫌いなのは「諦めること。諦める姿を目の前でみること」。
ここから浮かび上がってきたのは、
ぼくはただ単に本を読んだりするのが好きなのではなく、
「 夢を諦めずに叶えていくことができる 」という
方法論やテクノロジーを開発したいんだと深く気づくことができたのです。
そうしたものを講座や本や映像やプログラムなどを通じて、
たくさんの世界中の人たちに届けて行きたい。
そのレベルを上げて行きたい。質をあげていきたい。
というのが自分のゴールであり、情熱であり、成功のレベルを測るものさしなのです。
Q1:「大好きなことはなにか?」
Q2:「大嫌いなことはなにか?」
Q3:「あなたの情熱はなにか?」
Q4:「その情熱をつうじて、あなたはなにを実現したいのか?」
という4つの問いを、アンソニーロビンズのところで学んだような、
自分で開発したような、少し記憶が曖昧ですが、この4つの問いが、
いつも自分を情熱の原点に戻してくれます。
大学を卒業した海の向こうで、その気づきを得たのですが、
帰国して当時のブログを更新しようとしたら自分のブログのタイトルが目に飛び込んできました。「燃える情熱は魂を超えてリズムとなる」というものでした。
自分の情熱に突き動かされて生く、という決意をずっともっていたのだと思います。
学生らしい赤裸々なことを書きすぎてしまっていたので、もうこのブログは存在していませんが(笑)
ですからずっと自分のなかに「情熱センサー」とでもいいましょうか、
今自分がどれくらいの情熱度で生きているのか、ということをみて、
より情熱のもてる方へ、より情熱のもてる方へ、と選択しつづけている気がします。
ぼくは、メソッドやテクノロジーやモデルに恋をしてしまっていたので、
なかなか歴史に興味をもつことはできませんでした。
こんなすごいメソッドがある、こんなすごいテクニックがある、
こんな変革のモデルがある、ということを知り、発見することに夢中でした。
方法論を知ることが楽しかったし、それを伝えることに情熱がありました。
特にアンソニーロビンズの方法論は、
わたし自身も大好きだったので日夜研究していました。
えぇ、働いてもいませんでしたし、スケジュールも入っていなかったので・・・
そんな僕の姿を先輩方が、いろんなところへ引っ張ってくれました。
企業の社長さんだったのですが、もともと同じ内向方の人だったので、
気持ちがわかってくれたのかもしれません・・
そうした中で出会ったある出版社の取締役の人に次のように聞かれました。
「池田さんは、なにを伝えたい人なんですか?」
そのとき僕はアンソニーロビンズのメソッドと答えたのですが、
その人には、「それは方法論でしょう。あなたはなにをしたいのですか?」と聞かれたときに、情熱はあるけれど、なにをしていこうとしているのか、というものが欠けていると気づいたのです。
たしかにさまざまな方法論は「夢を叶えるための方法」でした。
「じゃあぼくは、ただ方法論を集めて、それを伝えて、それを繰り返していれば満足なのか?」という問いが生まれたときに、また「そんなのは嫌だ!」という大嫌いが発動したのです。
そこからでした。「じゃあ、ぼくが尊敬する人たちは、なにをしていこうとしているのか?それはどんな経緯から生まれたものなのか?」というさまざまな人のことを見ていくようになったのです。
「何を目指しているのか?」よりも、僕にとってヒントをたくさん与えてくれたのは「どういう経緯でそれを目指しているのか」ということ。なぜなら、なにかがあれば、また目指すものは変わってしまうかもしれないけれど、それを「なぜ目指しているのか」という経緯がわかれば、より深く自分の情熱をどこにむけてつかうかも見えてくると思ったからです。
そうしてぼく自身を深く突き刺してくれる吉田松陰に出会うのですが、
それはまた別の機会でお伝えします。
燃える情熱は、人生をいろいろなところに導いてくれるのです。
池田貴将