こんにちは、


こういちろうです。



僕は、ず~っと力んで生きてきました。


今、思えばね。



頑張った分野は、


年齢によって、


その時期によって変化はありますが、


ずっと頑張ってきたなぁと思います。



今ほど、世界を信じてなかったし、


今ほど、自分の価値を知りませんでしたから。



自分には価値がないから、


頑張って、努力する、


「好きな言葉は、努力です!」


って、感じですね。



どんな分野でもいいから、


気に入られたい人に気に入られるためには、


力の限りを尽くしてきました。



必死でしたね。




今は、どうしているかと言うと、


「好きなこと」をしています。


それが、人が気に入ろうが、


気に入るまいが、


関係ありません。逆にね。



今までの頑張っていた苦しいときというのは、


「自分の気持ち」に関係なく、


誰かに認められるために努力していたのです。


自分では自分が何をやっているかに気づいていませんでしたが。


そのくらい必死だったのですね。



「気を張っていなければいけない」


「ボーっとしていてはいけない」


「時間を無駄にしてはいけない」


などなど、


自分の本当の気持ちを殺すためなら、


どんな言葉でも思いつきました。



そうやって、自分の気持ちを遠くへ追いやることで、


認められたいという気持ちを満たしていましたね。


満たしては、不安になり、


満たしては、また不安になり、


どんどんやることが厳しくなり、


ハードルは高くなり、


とうとう最後は肉体が停止しました。


本当に止まったのです。


ある日、


歩いている途中で、足が動かなくなりました。


力が入りません。


そんなことは初めてでした。


歩けない。


どうやっても、力が入りません。


僕は、道端で、倒れ込み、


その場でじっとしていることしかできませんでした。


そうなるまで、僕は自分が進んでいる道が


間違っていたとは気づかなかったのです。


その日に、


僕は学び始めました。


「自分自身」を。




僕は、自分のことを全然知らなかった。


自分は、本当は何者なのか。


自分は、何が好きなのか。


自分は何をしたいのか。


自分は、何のために生きているのか。




努力を自分なりに窮めていった先で、


僕は、このやり方ではいけないのだ、


と気づきました。


自分にできる努力というものをやり抜いて、


やっと気づいたのです。


肉体が止まってから、気づきました。


体が動かせなくなってから、気づいたのです。


これは、何かを変える必要があるのだと。




いろんな生き方があっていいと思いますが、


僕は、「好きなこと」をしようと思っています。


好きなことは、変わっていくかもしれませんが、


僕は、今、自分がやりたいと思ったこと、


好きだなあと感じることしかしていません。



道端で倒れてから、


好きなことだけをやるようになるまでに、


何年もかかりましたが、


その間に学んだことを、


今は、周りの人たちに伝えています。


それも、僕にとっては大好きなことです。



僕にとって、本当に嬉しかったことは、


「すべての人が、好きな人生を生きられる」


ということを知ったことです。


これを信じる、信じないは、


個人の自由だと思いますが、


僕は、信じています。



このことは、


今、現在、苦しみの中で必死に生きている時期の


人にとっては、まったく受け入れられないことだとも思います。



苦しみのさなかにあって、


人は、自分の人生を誰かのせいにしたくなるものです。


苦しいときには、


これは自分のせいじゃない、


自分は悪くないんだ、


と、誰でも思いたいでしょう。



人には、それぞれタイミングがあると思います。


僕は、道端に倒れながら、


もう、どうすることもできなくなった時に、


すべてを受け入れる準備ができたのです。



どんなものからでも、学ぼうと思いました。


「助けてほしい」


と願ったのです。



その願いは、叶いました。


僕は、


「人生は、楽しむためにある」


ということを、知ったのです。



楽しむことが人生の目的だなんて、


まったく考えたこともなかったです。


それを知っていたら、


道端に倒れてしまうくらい


死ぬ気で努力をすることはなかったでしょう。


それよりも、


自分の気持ちを感じて、


自分の「好き」を何よりも大切にし、


他人の意見なんか気にせずに、


自分が喜びを感じる瞬間を大事にして、


仲間との温かい時間を過ごすことを


何よりも優先していたでしょう。



僕は、当時、周りの人間が、


あまり好きではなかったと思います。


それが、今は、


みんなのことが大好きなんです。


もちろん、


僕に対して、ネガティブな反応をする人もいるので、


そんな方々に対しては、


あまり深くかかわることができません。


ですが、


一番深いところでは、


その方々に対しても、


「どうか幸せでありますように」


と願っている自分がいます。


あるがままを、受け入れるしかない歯がゆさはありますが、


きっと、すべては学びの過程であり、


近い未来で、何かに気づいて、


彼らも別人になったかのように笑顔になるんだ、


という希望を持てるようになりました。



人は、理由があって、


今の状態で生きているのです。


どんなにネガティブなエネルギーを押し出して


生きている人でも、


その奥には、


可能性があります。



すべての良きことを含む可能性です。



今は、苦しみの中でもがいている人も、


僕がある日、突然改心したように、


一気に変化が起きる瞬間があるのだと思うのです。



どんなに自信がない人でも、


きっと、


自信が持てる日が来て、


人に優しく接することのできる


心の余裕が生まれる日が来ると思うのです。




「余裕」がないから、


他人を責めてしまうのかもしれない。


けれど、


きっと、


「余裕」を持つことができる日が来るはずです。


それは、


「自分には、価値がある」と気づいたとき。



自分には価値があるんだと、


僕たちが知ったとき、


すべてが変わります。



周りの人、みんなに価値があることに気づくからです。




「自分には、価値がないんだ」


と信じてしまっている人は、


心に余裕がなくなって、


攻撃的な行動に出やすくなったりします。


それも、仕方がないことです。


自分に価値がある、と感じたいがために、


人に対して厳しく接するようになる人もいます。


それも、仕方がありません。



「自分には、価値がある」


「人生の目的は、楽しむこと」


これらのメッセージを伝えていくことが、


僕のやりたいことの一つだと思います。



いろんな場面で、


僕はこれからたくさんの人に関わっていくことになりますが、


その瞬間、瞬間を大切に過ごして、


良い影響を与えられる存在であれたらいいな、


と思います。



あなたも、これから、良き日々をお過ごしください。


愛しています。




こういちろう