イケダムネオ人生学習帳 -38ページ目

イケダムネオ人生学習帳

「ことばは感情を変え、行動を変える。行動が変われば習慣が変わり、人格が変わる。人格が変われば、集まる人が変わり、ひとの運命が変わる。」  日々の気づきを言霊に託し、変えてみせます。私の運命。


2006台湾
今日は、日々に驚いたことです。

現在、課外活動で特許の翻訳修行を行っておりますが、特に日本語でかかれた特許文書はほんとに、専門用語の羅列でイメージするのがむずかしい語句の連続です。今やっていたのが、ヘッドフォーンの特許に関する文章で、単語の意味と使われ方の頻度を調べたいので、gooleの検索ボックスに「ヘッドフォン ハウジング」と入れようとすると、”ヘッドフォン”と入れた途端、ボックス内に今、まさに入力しょうとした単語が出てくるのである。最近のインターフェイスにおいては、めずらしくもない機能だと言われるかもしれないが、すごいのは、この単語は初めて入力するもので、つまりは他人が検索した単語の連なりをサーバ経由で送ってきているのか、またはこの単語を入力する前に、”ヘッドホン”と”ハウジング”を別々にgoogleの検索ボックスで検索しているので、それを類推したのか定かではないが、たぶん、他人の検索ワードを出してきたのであろう。 詳しい数字はわからないが、たぶんgoogleの検索ワードだけでも、日にすくなくとも億単位のワードが入力されているはずで、それをキーワード毎に区分して、なにがしのアルゴリズムで検索してきて、すぐさま何気なく、検索ボックスに出しててくるすごさと、

この先のコミュニケーションのあり方(たぶん、googleは次のサービスで考えているかもしれないが。)を予見させるものだ。同一検索ワード同士で、会話(チャットかな)のセッションが成立するインフラであろう。今回私の場合であれば、すぐさま自分がその瞬間悩んでいる訳し方、考え方を相談するであろうし、そうでなくてもその検索ワードを入れたひとがなぜその言葉を選択したのかを聞くだけで、十分にコミュニケーションが成立する。しかも

検索する興味が似通っていることは、それだけで何か共感を覚える。このリアルタイムな会話の成立はどこまで

何をもたらすかね。。 とりあえず早くこの課題は仕上げねば。

先週の金曜日のメールのせいで、気が滅入っている。なにもやる気が起こらない。自業自得である。この場合にも、メール絡みが招いた結末である。一度会っていたら。。。とも思える。どうにか気を晴らそうと、散髪に行こうと思いgoogleで居住地指定して、「理髪店」で検索して、一番最初に表示された店に電話してみる。「あのー、眉毛をきれいに揃えてほしいんですけど。。」、「はいはい、わかりました。そのようにおっしゃるお客さんが最近増えてまましてxxxx、ポイントは眉毛の下のラインを揃えるときれいに見えるんですよ。上の伸びたところだけ切っていっても眉毛の美しいラインはでませんね。」、明るいはきはきとした口調の電話口とこのトークで、決まりである。予想どおりの店構え、昔ながらの理髪店のように漫画が一杯、店内も清潔すぎなくほどくつろげる雰囲気。腕もたしかで1700円。


hibiyatatemono

最後は接近戦でのアナログでしか、本当のところはわからないのだ。

気持ちの持ち方もしかり。デジタルだけやっていると、本当にキレやすくなる。デジタル特有のスピードが、アナログの世界にある間がないのだ。間とは、判断する際に多方向に物事を見ていくための大事な時間なのだが、デジタルではそれがなく、直線的になってしまう。ああ。。この気持ちの重さはなんだ。自分ではわかっている。何度も経験している自分の中のある種の狂気が、湧き出してきた結果なのだ。自分の痛みに変えてこの狂気を抑えなければ。合掌

金曜日にあるメールを配信していらい、どうも気持ちが休まらない。相応ひどい言葉で相手をなじる内容で、人間関係を完全になくすようなことまで覚悟したのであるが。。よくよく考えてみるとそのように決断したのは相手が自分に対して誠意をみせず、馬鹿にしたように感じたからであるが、その真偽は定かでない。悔やまれるのはあまりにも物事をとらまえる視点が単純すぎることだ。相手の気持ちになって(対観)、すこし上から(俯観)、もっと上から(客観)見てみるとなんてことないことかもしれないのだ。怒り、悲しみ、喜び、憤りの感情は客観してみればたぶんたわいのない出来事にすぎないのだ。お釈迦さまの視点でものごとをとらえることができればこんな素晴らしいことはない。以前の会社の同僚のk氏より自分を侮蔑するような相当ひどいメールを受け取ったことがあるか、それと同じく低レベルのことをやってしまった。猛反省しなければ。。
彼岸花