イケダムネオ人生学習帳 -36ページ目

イケダムネオ人生学習帳

「ことばは感情を変え、行動を変える。行動が変われば習慣が変わり、人格が変わる。人格が変われば、集まる人が変わり、ひとの運命が変わる。」  日々の気づきを言霊に託し、変えてみせます。私の運命。

以前から気になっていたが、見る機会のなかった青山真治氏作品の「sad vacation」,「eureka」を観る。監督が同郷の北九州を舞台にした映画はどんものかを軽い気持ちで見始めたが、結構はまってしまった。北九州を言葉で表すと、灰色、煙突の煙、ヤクザであり、他の出身の人からみれば喧嘩しているような口調で話すのが特徴である。他人から見ると、自身の外見も典型的な北九州の人間なのかもしれない。

どちらも、再生の物語である。深い心の傷を負った人間の日々の風景を長廻しのカメラとミディアムショットと聞き取れないようなモノローグに近いセリフで物語は進行していく。映画の時間の進行と自身がその世界に入り込む進行速度が見事にはまっていく。 「sad vacation」では若戸大橋(北九州市の若松区と戸畑区を結ぶ橋)の赤と

くすんだ色の街にある運送会社が舞台である。親に棄てられた子の復讐、捨てられ行き場のない人間の息遣いがひどく心を揺さぶる。おもわず泣いてしまったシーンがある。

梢(宮崎あおいが演じている。これはeurekaを見ないとわからないが、幼い頃にバスジャック事件に遭遇、その後親に棄てられた子供が、現在運送会社に身を寄せている。)を探して、光石研と斎藤洋一郎演ずる2人が訪ねてくるシーンがある。無言でお茶を二人に差し出す梢、一気に飲み干す二人、その後の光石研が言う。「いやー、梢がよかったらきさ、そこが一番よかろうもんね。」その台詞を感情を押し殺すように2度続けていうシーンに思わず涙した。北九州の人間のまごころが入った言い回しが見事に体現されていたのである。光石研のプロフィールを見るとやはり北九州の八幡の出身。

「eureka」は福岡南部の甘木を舞台にはいているが、これはほとんど地域色を感じさせない、ヨーロッパの架空の都市をイメージしたような映像である。たぶんヨーロッパでのコンペィションを意識した作りになっているように感じた。ひとついただけないのは役所広司演じる男の方言は長崎や熊本の方言であったことだ。このテーマは殺されそうになった経験をもつ人間が一線を踏み越えず、家族を失った人間が新しい関係性を構築していくドラマである。

誰にでも、心の傷がありそれを癒し、再び生きていくのであるが、役所広司の「生きろとはいわん。死なんでくれ。」の台詞が考えさせられる。


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一人暮らし(正確にはひとりと一匹のhanna)を始めて、2年余り。。 家族でいたころとは明らかに違うことは当然ながらすべて一人でやらなければならないし、別の見方をすればすべて自分が生きていく上で必要な時間はいつも自分の前に横たわっている。家族のために費やす時間もない。何も自分を遮るものはない。最初のころはこの果てしない時間とどうやって向き合うかが大問題だった。そのために自分で食べるものは自分で調理し、身につけるものは自分で洗濯し、自分で干して、自分でたたんで収納する。できるだけ横たわった時間と向き合わないようにしていた。そうしているうちに、その時間を楽しんでいる自分を発見する。へたくそながら、少しづづでもうまいものを食べようと思案し、料理の味付けを考えている自分を楽しんでいる。そうしているうちに一週間はあっというまに過ぎ去る。果てしない時間と向き合い、心の奥底をのぞかないように時間は過ぎていく。


朝日新聞のコラム欄に目が止まった。ノンフィクション作家で一番読破してい沢木耕太郎氏のものである。大学時代に読んだ「テロルの決算」は、日本が生んだ最高のノンフィクション作品だと思う。同氏のコラムの内容は以下のようなものであった。

取材の途中で乗っている飛行機が墜落して不時着して九死に一生を得たという。「その場で死んだとしても自分は全然問題なかったと思う。素晴らしいものが書けたとは思わないが最高の努力を常にしたきた自信があるその場を十分に生き切っている感じがあるから。それは自分一人ですべてをコントロールできる仕事をしてきたからではないか。集団でする仕事だとその感覚ではない。」 最新作の「凍(トウ)」では山野井夫妻の登山を生業とする

生き方が描かれている。凍傷で手足の指をほとんど失いながら、さして気にもとめない。自分の好きなことをやった結果として指をなくしたのだから、しかたない。それよりも指がない環境を是として受け止め、箸がどうにか持てるようになり、料理が作れるようになったことに喜びを覚え、ついにはまたも難関のクライミングをやってしまう生き方。

ソロで生きることを確かに感じて生きることが大切であることは、なんとなく感じていた。日々をリアルに生きていく大切さを一層感じている。

このブログも昨年の11月以来ご無沙汰しておりました。昨日、私の姉さんともいえるkeikosanとのfarewell partyを火鍋屋やりました。20数年来の縁のある方で、今回は諸般の事情でご実家のある博多に戻ることになり、ささやかながら、やはり縁深いN氏と同席で火鍋を囲みました。keikoさんはとにかく、営業の達人でもあり、アートの感覚もすぐれ、またいろいろな人脈をおもちのスーパーレディで私も数多く学ぶことを多い女性である。博多に戻ってもあらたな波を起こしてくれる信じております。


keikosanに幸あれ



080215keikosan