クライフ逝く | イケダムネオ人生学習帳

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「ことばは感情を変え、行動を変える。行動が変われば習慣が変わり、人格が変わる。人格が変われば、集まる人が変わり、ひとの運命が変わる。」  日々の気づきを言霊に託し、変えてみせます。私の運命。

2016年3月24日、68歳の若さで、ヨハンクライフ逝く。。。。


いまでこそ、サッカーは野球と肩をを並べるどころが、国際大会においては日本ではナンバーワンスポーツであるが、中学一年生の後期よりサッカーを始めた当初は、野球部が大半を使うグランドの隅のほうを使わせてもらってやっているようなマイナースポーツだった。戦術、組織的な動きなんぞはほとんどなく、サッカーを知らない先生が見よう見まねで教えていて、とにかく、サイドにボールをけりこみ、俊足ウイングがそのボール追いつき、中に放り込み、30回に一回ほど、味方にあえば一点のような雑駁なオペレーションだった。
それでも、後発組だったせいか、家に帰ってもリフテイングがヘデイングの練習をして
どうにかうまくなりたいと必死でボールを追いかけていた高校一年生の時に、テレビ東京でワールドカップが初めてリアルタイムで放映されたときに、出会ったのが、天才クライフのプレイだった。

オランダ代表のキャプテンでもあったクライフにボールが集まると、その周りを他の選手がスペースを作るために動き出す。バックライン、ハープ、フォワードの
ポジションに関係なく、最適な位置にポジショニングしていく、今では当たり前になっている三角形をかたちづくりながら、バスケットの試合のようにパスをつないでいくスタイルは、トータルフットボールと言われて、現代サッカーの見本となった。

自分がやっていたものとは全く異質の美しいプレイがそこにあった。
予選リーグでの南米の雄、ウルグアイを子供扱い、準決勝では優勝候補ブラジルを
僚友レンセンブリングからのクロスをダイレクトボレーで撃破。フライングダッチマンとも呼ばれて、とにかく手がつけられなかった。

そして決勝の西ドイツ戦、キックオフから1分前後、オランダのパスが数十本繋がって、すこしづづ西ドイツゴールに近づいていく、その間、西ドイツは一度もボールに触れない。クライフにマンツーマンのフォクツも、クライフがただボールをはたくだけで
なにもできない。。。その刹那、クライフが前向きのときに縦の柔らかいパスがはいり、クライフがドリブルを開始すると、3人程マークにつくが、振り切られてペナルテイエリアでフォクツがたまらずファウル。


ニースケンスがど真ん中にPKを決める。いままで数千試合のサッカーを見ているが、開始から3分前後、相手が一回もボールに触れることなく、最初のアクションがPKにつながった試合はこれきりである。

だか、この時の西ドイツはテクニックも備えた、決して、あきらめない、のちにゲルマン魂とよばれる面々、ブライトナー、ヘルツエンバイン、現在のバイエルの会長であるヘーネス、爆撃機ゲルトミュラー、そして皇帝フランツベッケンバウアー。。。ミュラーのゴールで逆転してしまう。

40年以上経った今でさえ、その試合は色あせないし、サッカーバカである自分を
形づくった試合だった。

その後、クライフはバルセロナで、トータルフットボールを自ら実践し、また監督としても見事な攻撃サッカーを展開していく。

現在最高峰の監督であるグラウデイオラも、クライフが監督時代にカンテラから抜擢して、経験を積むことでバルサの中心選手となった。


クライフは面々とその遺伝子を残し、よりサッカーをよい報告に導いていくにちがいない。

背番号14は、すべてのチームで永久欠番にしてもいいくらい価値のあるものだ。


合掌。