トミノナガヒスネコはどこの人なのか | 原島礼二、原島隆の「池袋古代史入門講座」のブログ

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池袋を中心に30年以上続けている日本古代史の講座です。
古墳時代の話を中心に「考古学」や日本書紀、古事記などの文献資料も扱いながら、毎週月曜日の午前10時~12時の約2時間の講座です。

今年の春は花粉が多いという予報で、花粉症の自分は戦々恐々となっていますが、花粉症で死んだ人もいないということで開き直っています。

新聞では「国宝級」(の出土品)と書かれた奈良市にある富雄丸山古墳。

古墳の立地は生駒山の東。

イワレヒコ(神武天皇)がこの山の西山麓(日下)に船で攻め込んできた話が古事記で描かれています。

この時に敵対したナガスネヒコはトミノナガスネヒコといわれ、富雄丸山古墳がある土地の地名(トミオ)と関係するとも言われています。

古事記や日本書紀の注釈をみると、トミノナガスネヒコのトミは奈良市の「富雄」(登美ヶ丘という地名も残っています)ともう一つ、奈良県桜井市の外山(とび)という地名も候補に上がっています。

桜井市の外山は桜井駅の南東の地名で、桜井茶臼山古墳という鏡がいっぱい出土した古墳があるエリアです。

またこの付近は磐余(イワレ)とも呼ばれ、神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)とも関連しそうです。

奈良市の富雄も桜井市の外山も、ともに神武天皇に関連してくるのは偶然なのでしょうか。

まだ仮説も考えられてはいませんが、桜井茶臼山古墳の近くの城島遺跡(しきしま)から東海系土器がいっぱい出土した話(森浩一編「東海学が歴史を変える」)などが手がかりになるかもしれません。