古代人の死生観。「古代日本と朝鮮」より | 原島礼二、原島隆の「池袋古代史入門講座」のブログ

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池袋を中心に30年以上続けている日本古代史の講座です。
古墳時代の話を中心に「考古学」や日本書紀、古事記などの文献資料も扱いながら、毎週月曜日の午前10時~12時の約2時間の講座です。

司馬遼太郎や上田正昭らが対談する「古代日本と朝鮮」(中公文庫)という本があります。

森浩一(考古学)や金達寿(小説家)などがゲストになり、3~5人くらいで座談会をします。

作家の井上靖がゲストの回もありましたが、画家の岡本太郎と司馬遼太郎の2人での対談もありました。

このお二人の対談の最後の方で、死生観について語っているのですが、ここで岡本太郎が話したエスキモー(イヌイット)の話を紹介します。

以下引用

エスキモーは一定の年になると、船を出して、みんな海に飛び込んで死んじゃう。
うまく死ねない奴もいるわけね。そうすると一番かわいがられていた娘が、おじいちゃまとかいって、どうしても浮いてしまう顔を海の中へグッと突っ込んでしまう。
とても優しくね。つまり姥捨なんだ。(中略。南太平洋の話も紹介されています)

ぼくはそういうのは非常に正しいことだと思うね。だから、年寄の福祉、老人福祉なんていうと腹が立っちゃうんだ。
(引用終わり)

古代と現代の死生観の違いはとても大きいと思いますが、岡本太郎は古代の感覚そのままに命をつかみ取ろうと考えているようですね。

実際、いつ死ぬかわからないという点では昔も今も変わらないでしょう。

しかしこのエスキモーのおじいちゃまのように孫に引導を渡されるというのはなんともやるせない感じがいたします。

自分にももうすぐ3歳と1歳になる孫が2人います。自分の死に際に孫が手を下してくれるというのはどうなんだろうな、とあれこれ考えたりしました。