4月になって蔓延防止も解除されましたので、古代史講座を再開しました。
講座では今、ちくま新書の「考古学講義」の「玉から弥生・古墳時代を考える」という谷澤亜里先生の話を紹介しています。
弥生時代前期から中期は、朝鮮半島南部からの半島系管玉が北部九州で出土することが多かったが、弥生時代後期後半になると既存の舶載経路(半島から北部九州へ)の動揺がみられるとあります。
こうした動揺の背景に中国・後漢末の情勢の混乱(黄巾の乱)を想定されています。
そして古墳時代に列島の中心地となる近畿中部エリア(主に奈良県)が舶載玉類の出土がみられないことにも言及しています。
ここで古墳時代開始過程の問題として、なぜ近畿が中心となったのかという論点にも入っていきます。
弥生後期以降に普及する鉄器に注目し、近畿と瀬戸内中部(岡山県)の連合が鉄の流入経路をめぐって北部九州と争い、これに勝利したという理解が1980年代以降有力となったといいます。
しかし弥生後期においての鉄の流通状況(出土状況)は近畿では少なく、舶載玉類の出土も同様であることを考えると、上記の説は成り立たないといいます。
つまり古墳時代開始過程の問題、「なぜ近畿が中心となったのか」という論点は新たに考え直すべきではないか、と自分は考えました。
古墳時代開始過程を考える上で、ヒントになるかもしれないと思われるのが弥生時代後期に築造された四隅突出墳丘墓です。
四隅突出墳丘墓は山陰地方から日本海沿岸の福井や富山に広がっています。
なぜ四隅突出墳丘墓は前方後円墳のように全国的な広がりにならなかったのか、この問いの答えがわかれば、古墳時代開始過程の謎に近づけるかもしれないと思います。