本日は書籍紹介をいたします。
今回取り上げるのはこちら、
仏教伝道協会編『日本に生きるシルクロード——宗教・音楽・風俗の源流を訪ねて』廣済堂出版、1981年
本書はタイトルにありますように、シルクロードを通じての文物の交流がいかに今の日本にも影響を残しているか、ということを主題に論じられるものです。
個人による単著ではなく、仏教伝道協会が多くの講師を招いて主催した「心」という題の特別講座から、シルクロードに関わるものを抜粋して編集されたということで、シルクロードの歴史と風土を概観した「シルクロードのあらまし」という編集部による序文の他に、四名の方の議論が収録されています。
NHKの名作特集として名高い「シルクロード・絲綢之路」が放映されるのが1980年4月からということで、当時はシルクロード・ブームに沸き立っていたそうで、NHKの番組への言及も随所に見られます。
我々がシルクロードと聞いてまず思い浮かべるのは、正倉院の宝物だとか、ラクダとともに砂漠を行くキャラバンの光景なんかでしょうか。
天山山脈とタクラマカン砂漠の間を縫うような隘路を抜けていく絹の道というイメージは、中央アジアの厳しくも雄大な景色への想像をかき立てます。
本書は仏教伝道協会の編集になるということで、シルクロードを通じて伝播した最大の文化としてもちろん仏教が中心となり、西域から中国へ仏教を伝えた鳩摩羅什のような僧侶、あるいは逆に中国からシルクロードを経てインドへと経典を求めて旅立っていった法顕や玄奘といった求道僧の物語にやはりアクセントが置かれています。
しかしそれにとどまらず、シルクロードによって東西を伝わった音楽、あるいは服装をはじめとする風俗の話題なども俎上にのぼり、読みどころは多いです。
惜しむらくは、服装についての話は羅列的な紹介に終始し、それぞれ地域に元あった風俗がどのように変容を蒙ったのかというダイナミズムに欠けるところがありましたが、音楽については楽器や音階などの東西交流の様子が具体的に説かれて、非常に面白いです。
少し引用します。
「天山山脈を北へ越えてしまえば、気候は寒いが、草原地帯なので、動物などを飼えば暮らしていくことはできる。しかし天山山脈の南側、新疆省、タクラマカン砂漠はたいへんなところだ。ずっと南へ下り、崑崙山脈に沿って行けばいいかもしれない。しかし、その地域はチベット人がずっと長く支配したところで、一般の人はそこを通るとチベット族に皆やられてしまう。だから昔の人は、結局どんなに無理をしてでもあのタクラマカン砂漠の北の端か、あるいは南の端あたりを通って行かなくてはならなかった。
今はそこにウイグル人が住んでいる。そういうところにでも、すばらしい音楽がいろいろみられるのだ。
天山南路の音楽の中心はクチャ(庫車)といっていい。クチャは昔は亀茲と呼ばれ、いわゆる亀茲楽、亀茲伎のあったところだ。
唐代には西アジアの音楽が盛んに長安に入ってきたが、いわゆる唐代十舞伎のうちの一つで、一番人気があり、もっとも流行したのがこの亀茲楽であった。その中心地がクチャである。
そこにはクジルの千仏洞やクズルガハの千仏洞など、洞穴に刻まれた仏像や壁画が、荒れはててはいるものの、今でも残されている。それを見ただけでも、以前はここに、どんなに優れた文化があったか、いかに華やかな時代があったかが分かる。
亀茲楽は中国の長安でたいへん流行し、唐の時代に日本に入ってくる。そのかけらが今の雅楽の元になっているわけだ。
雅楽は日本の音楽文化の一番の元といっていい。その雅楽の元が中国音楽、さらにその元になったのが亀茲楽であった」
(149-151頁)
たとえば「胡」というと中国から見て北方や西方の異民族に対する蔑称であると同時に、ソグド系の人たちによって伝えられた文物に「胡瓜」「胡弓」など「胡」の文字が当てられるのはよく知られていますが、こういった言葉も身近に生きるシルクロードと言えるのかもしれませんね。
「微笑」なんていう言葉も、仏典の鳩摩羅什訳に由来するのだそうです。
シルクロードの終点は平城京だ、という風に語られることもあるように、こう考えると島国日本といえども異文化交渉に開かれることで形作られている部分も多いのだな、とあらためて思い知る読書となりました。







