Rさんはいけ花で哲学してます。左側に置かれた壊れた花器の残骸も作品の一部です。まるで何かを暗示しているようです。枯山水や石庭にも通じるところがあります。皆さんはどんなふうに感じるでしょうか?ううむアートしてる。哲学してる。

僕の父の時代はデカルトやカント(デカンショ)僕の時代はデカルトの二元論の崩壊でした。それは理系文系問わず誰もが学んでいましたし、一般社会でも女性問題、児童問題、南北問題として課題認識されていました。この理解が進まない中で今度はダイバーシティーやLGBTの理解啓発です。社会が求める意識改革のスピードが速くて混沌としてしまいます。そんな現状をこの作品は暗示しているように思うのです。

右に置かれた陶器の破片は過去の家長制度や男尊女卑、子は親の所有物と言うような古い常識、そして中央の花器とニューサイランのごちゃごちゃは古い常識の破壊による混沌を、そして左端のニューサイランの葉先は矢印のようで混沌からの脱出先を示しているように僕は感じました。

さてRさんのCLMはというと…色はニューサイランの緑と花器の黒、線はニューサイランで、塊は中央の花器とニューサイランの混沌になっています。