暴走する資本主義/ロバート ライシュ
¥2,100
Amazon.co.jp

要約


第一章「黄金時代のようなもの」


20世紀初頭から企業が躍進し、大企業が誕生するようになる。大企業の利益を追求する無責任な振る舞いは、民主主義と相容れなくなる。こうしたことから政府規制がなされるようになった。規制は価格競争を抑制し、新規企業の参入を阻むことから企業経営者にとっては歓迎すべきことだった。戦後、需要の急増により、企業は政府規制と産業計画の緩和を望み、それが実行された。それにより大企業は伸張し、労働組合が結成されるようになった。その後労使協調により格差は縮小した。民主的資本主義は強化され、①規模の経済が生産性を高め利益えを生み、②安定した仕事が創出されたことにより、③利益の広範な分配がなされ、④多くの消費者が利益の分配を再支出した。


第二章「超資本主義への道」


①技術革新、②グローバル化、③規制緩和が消費者・株主を引き寄せようとする企業の競争を激化させ、コストダウンへ向かわせる一連の流れによって、、民主的資本主義から超資本主義へと変わった①技術革新はペンタゴンやNASAを中心に生まれた。②グローバル化(グローバルサプライチェーン)は大量生産システムを崩壊し、アメリカの競争力を低下させた。注意すべきなのは、アメリカ企業は健闘したままで、国内が衰退したということである。③規制緩和により各産業におけるコストは低下した。そして、金融の規制緩和により預金者はチャンスを手に入れ、投資家へと変化した。こうした流れが、労働組合や大手寡占企業、規制という権力を持っていた政府の力を削ぎ、権力は消費者や投資家に移ることで、民主的資本主義から超資本主義へと変質した。


第三章「我々の中にある二面性」


私たちは消費者や株主としては有利な取引を望むが、市民としてその結果もたらされる社会的悪影響については懸念を表明する。この二面性は、市場が個々人の欲求に素早く対応できつことから、消費者・株主の面が勝つことが多い。消費者・株主の面が勝つことで、市民という側面において力を失った。こうして消費者・株主の面が強くなれば、市民としての力を取り戻しすことでバランスを保とうとする。そのためは、二面性のバランスについて議論が必要となる。しかし、、バランスを取り戻すべき政治の場においては、市民的価値観が弱い。


第四章「飲み込まれる民主主義」

超資本主義によってカネという副産物が生じた。企業は、公共政策を用いて競走上の優位性を保つためにカネをロビー活動という形で政治の世界に持ち込んだ。それにより政治の世界も競争が起こり、市民の声を表明する手段がかぎられたことによって、政治の場面において市民的価値である民主主義が後退した。こうして、消費者・株主の立場は強いままだが市民的価値は弱くなり、超資本主義によって民主主義が飲み込まれた。民主主義を再構築するためには、民主主義と資本主義との境界線と本質を理解しなければならない。


第五章「民主主義とCSR」


CSRとは一見、民主的資本主義の新形態のように思われるが、その本質は企業が利益を確保するために必要最小限の費用と努力によって市民の目を逸らすための行動である。なぜなら、企業は自発的にCSRを行うというポーズをとり、政治も企業からカネをもらっていることから企業がCSRというポーズをとれば規制を行わない。結局、法律の制定もなさなれずうやむやになる。そもそも超資本主義では利益を損なうような社会的善行は許されない。そのため、企業にとってはCSRとはうやむやにするための必要なコストなのである。そのため、CSRに惑わされると、民主主義と資本主義についての関係が理解ができなくなる。


第六章「超資本主義への処方箋」


民主主義は超資本主義に対する有効な処方箋となりうる。しかし、その民主主義が超資本主義によって弱められている。民主主義の復活のために、まずは市民が官と民のそれぞれの役割について正しく認識し騙されないようにする。そして、政治の世界からロビー活動を始めとする超資本主義を排除し、企業とは擬制に過ぎないのであり、意思決定のプロセスには人間のみが関わるようにする。


感想

読んでみて、今自分たちがどのような状況におかれているかというのが分かった。最終的に著者は意思決定のプロセスにおいては人間のみが関わるようにすべきだと述べているが、法人に人格が与えられている現代において、どのような方法をとって人間のみが関われるプロセスを構築するかについて、法人税の廃止などを挙げている。著者は、こうして著者が挙げたアイデアを基にして、民主主義的な方法でそのアイデアを実行に移すことが処方箋と考えているのだろう。