会社を作る1日前、いつもの朝、21歳独身ニート。この日も迷う事なくド派手な服で身をまとい、日サロからの渋谷センター街へ。特に用がある訳じゃない。「渋谷」の引力に引き寄せられて気が付けば毎日センター街にいた。ニートな俺だけど、スタッフ2000人を抱える「イベントプロデューサー」っていう立派な肩書きがあった。その俺の唯一のプライドが「今、仕事何やってんの?」とか「将来どーするか決まってんの?」って言葉に傷つけられた。「ただの大学生」からしたら「ただのイベントプロデューサー」が眩しかったんだろう。とにかくそういう類の冷やかし野郎共には、「テキトーテキトー」って笑ってごまかしていたけど、「友達」からの「いつまでそんな事してんの?」には返す言葉がなかった。ニートは大変だ。夢中になってる事すら否定される。夢を語るのがバカだと思われる。12年前は就活するのが当たり前の時代だったからルール通りやらない俺がディスられるのは当然なんだけど、、そんな感じで21歳独身ニートのイベントプロデューサーって俺とお別れ。どんな楽しい瞬間もぶち壊しにしてくれる「いつまでそんな事してんの?」にどうにか言い返したくて、2006年2月株式会社エイチジェイを設立。今日まで21歳独身ニートだった俺が明日からノリと勢いで代表取締役社長になる。


肩書きだけではあるが晴れて青年実業家の仲間入りをした。「21歳で社長なの?隼人君すごーい!」「会社経営してるでしょ?」「こんな仕事お願い出来ない?」「ニート」って肩書きが「社長」に変わっただけなのに、こんな毎日がはじまった。「言葉の引力」ってやつ?笑。最初はとにかく頼まれた仕事をした。ノリと勢いで作ったからよく分かんないけどとりあえずやるしかない!って感じだった。会社を作って1年半が経った頃、やっとやりたい事で夢を実現させた。23歳、江ノ島に海の家「GALAXY」をオープン。24歳、SHIBUYA109に「SBY」をオープン。毎日センター街にいたから(夏の2ヶ月間は江ノ島との往復だけど)友達の多さでは誰にも負けてない自信があった。そのポテンシャルを最大限に発揮出来る仕事だし、何より夢があって楽しかった。やっと自慢出来る仕事が出来て、友達にも今までの自分を認められた気がして本気で嬉しかった。それから10年、この渋谷とティーンマーケットを主戦場に真面目に戦ってきた。そして今、「若者の夢を応援する会社」って意味では、限りなく日本一の会社に近付いてる気がする。


ノリと勢いで作った会社だったけど、昨年2017年7月31日にエイベックス松浦会長が出資という形で、俺たちの未来を応援してくれる事になった。スタッフもバイトを含めたら100人以上の会社になった。子会社は7社になり、イベント事業だけでなく、創業当初から力を入れている芸能プロダクション事業や広告代理店事業の業績も急成長している。店舗事業は、渋谷、西麻布、六本木で11店舗になった。今後はメディア事業やSNS事業に注力し、デジタル領域をもっともっと伸ばす。もちろんまだまだ挑戦は終わらないし、むしろこれからだと思ってるけど、10代の頃に描いた「いつかこの街でBIGになってやる」って小さな夢は叶えられた気がする。そして更なる大きな夢に向かう俺たちを、今日2018年12月3日サイバーエージェント藤田社長が応援してくれる事になった。エイチジェイを創って12年、、、はじめはノリと勢いだったかもしれない、でもそんな俺たちを沢山の先輩が応援してくれたお陰でここまで来れた。先輩方がそうだったように、次は俺たちが若い世代のノリと勢いを応援する。夢と可能性を応援する。日本中の若者が鳥肌で全開になっちゃうような事をしたい。競い合ったり奪い合うんじゃなくて、若い力が手を繋いで大人とか社会とか世界に挑戦しなきゃ新しいカルチャーは生まれない。マジで「夢と可能性が溢れる会社」にする。「渋谷を代表するエンターテイメント会社を創る」そろそろ俺の本気出す。待ってろ世界。


若者へ

とりあえず飲みに行こう。

毎日渋谷にいるから連絡くれ。