これは、かつてプロ野球界を湧かせた野村克也監督の座右の銘としてあまりにも有名ですが、江戸時代の肥前国第9代平戸藩主、松浦清(隠居して静山)の言葉です。

 

 この言葉の意味するところは、「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に必ず何か負ける要素がある。一方、勝ったときでも、すべてが良いと思って慢心すべきではない。勝った場合でも何か負けにつながったかもしれない要素ある」というものです。

 

 試合に勝つためには、負ける要素が何だったかを抽出し、どうしたらその要素を消せるかを考えていく必要がある。また、もし勝ち試合であっても、その中には負けにつながることを犯している可能性があり、その場合は、たとえ試合に勝ったからといって、その犯したことを看過してはならない、という戒めを述べているのです。これはビジネスも全く同じではないでしょうか。

 

 『黒字に不思議の黒字あり、赤字に不思議の赤字なし』

 

 「黒字経営を続けている事業所であっても、赤字につながる要素・要因は必ず潜んでいるものである。赤字につながる要素にはどのようなものがあるか、自社はその要素を排除する努力を行っているかを絶えず意識しておくことが重要なのである」

 赤字経営に転落するには、何の理由もなくそうなることは決してないと思われます。経営者は「勝つ経営」ばかりを無理に狙わず、「負けない経営」を地道に目指すのも一つの方法だと思います。

 

 どうすれば「勝ちに繋がるか」を探すことも重要な事だと思いますが、「何をすれば(若しくは「しなければ」)失敗するのか」を知ることも大切なことです。

 

 また、孫氏の兵法にこのような名言があります。

 一言で言えば、「勝つべくして勝つ」ということです。派手なプレーばかりが称賛されるような風土が組織に芽生えると、みんなが目立つプレーや起死回生のホームランばかりを狙い始める結果につながったりもします。

 

 「勝つべくして勝つ」の真髄は、誰もが注目もしないような地味な事前準備を一つ一つコツコツと積み重ねていくことが徹底できるかどうかに尽きるのです。そのような地道な努力を称賛するという組織風土を作り上げることが経営のよい結果につながるということだろうと思います。