市民運動に取り組む方が今月7日朝、電話をくださった。「(旧日本軍慰安婦被害者の)李容洙(イ・ヨンス)さんが記者会見を開くのだが、メディアの関心が小さい」という話だった。その日は10人前後の記者が集まった。それから18日が過ぎた25日の会見には150人以上が集まった。時間が経過して周囲の反応が変わってきたため、李さんの主張にも脈絡の違いが感じられる。最初の会見では「(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯〈正義連〉の前理事長だった)尹美香(ユン・ミヒャン)氏は国会議員(になるの)をやめて一緒に慰安婦問題を最後まで解決すべき」と話した。「慰安婦問題の解決」が中心だった。

 李さんが言う「慰安婦問題の解決」の基準は「日本政府の公式謝罪と法的賠償」だ。李さんは「千年たとうと万年たとうと解決しなければならない」と話した。これまで問題解決に向けた努力は政府と民間がツートラックで続けてきた。政府は外交交渉を通じ、民間は国際法廷と議会を通じ、謝罪と賠償を受けるために努力した。

 ここで奇妙な事実を見つけることができる。一つ目は、日本との外交交渉で、いわゆる「進歩政権」が努力した痕跡が見当たらないという点だ。二つ目は、民間の国際法廷と議会での闘争では尹美香氏の「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協=正義連の前身)の役割が何もないという点だ。「反日」に関することなら食事の最中でも跳んでくる人たちが、主戦場では陰に隠れていたという事実を、どのように解釈すべきなのか。

 民間の話からしてみよう。1998年のいわゆる「関釜裁判」は、慰安婦の法廷闘争の歴史において記念碑的な成果を残している。慰安婦被害者のハルモニ(おばあさん)たちが釜山と日本の下関を行き来しながら日本の法廷で日本政府を相手に勝利した。上級審で最終的に敗訴したが、一審は国際法廷での唯一の勝訴として記録された。2007年には米国議会で、慰安婦被害者と米議員が手を取り合って慰安婦聴聞会を開催し、決議案も採択した。日本政府が総力を挙げた防御戦を国際舞台で退けたという点で、歴史的成果と評価された。映画『ハー・ストーリー』と『アイ・キャン・スピーク』は、この二つの実話を描いたものだ。

 このとき現場で慰安婦被害者のために戦った主役たちは、尹美香氏をどのように評価しているのか。「関釜裁判」で主導的役割を果たしたキム・ムンスク釜山挺対協会長は、尹氏について「(慰安婦問題の解決を求める定例の)水曜集会に募金箱を持ってきた人物」と語った。慰安婦被害者の米議会での闘争を支援したソ・オクチャ米ワシントン挺身隊対策委顧問は「ハルモニたちが聴聞会で証言したとき、挺対協は一銭も支援しなかった」と話した。当時、米聴聞会で主役となった李容洙さんは、明快にまとめ上げた。「熊(ハルモニ)が芸をしてカネは熊使い(挺対協)が受け取った」

 李容洙さんは「私利私欲」と述べたが、それだけではない。尹氏は慰安婦募金によって日本の朝鮮総連系の学校や親北団体のメンバーらを支援した。日本大使館前の(慰安婦被害者を象徴する)少女像と水曜集会によって、韓日外交の摩擦を引き起こした。保守政権が日本との安全保障協力に乗り出したときには「骨の髄まで親日」と攻撃した。尹氏の挺対協を批判し、慰安婦のアイデンティティーに少しでも異議を唱えれば、「親日の妄言」とまくしたて、一瞬にして社会的に葬った。慰安婦被害者を前面に出し、朴槿恵(パク・クンヘ)政権の韓日合意をバラバラの紙くずにしてしまった。被害者のハルモニたちを前面に出した国内政治運動は、常に尹氏の挺対協が最前線で率いていた。

 次は政府の外交努力に関する話だ。人々は左派政権が何かにつけて反日と言うので、(慰安婦問題解決に向けて)さらに努力するだろうと信じる。ところが反対だった。「河野談話」を引き出した金泳三(キム・ヨンサム)大統領(当時)とは異なり、金大中(キム・デジュン)大統領はこの問題を首脳会談の議題にもしなかった。慰安婦被害者が(議題にするよう)訴えても取り上げなかった。廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権の態度は喜劇に近かった。2005年「慰安婦賠償は解決していない」と宣言し、過去事問題に火を付けておきながら、解決に向けた外交努力をしなかった。そうしているうちに、慰安婦被害者109人によって、「不作為(当然やるべきことをわざとしないこと)」だとして違憲の審判台に立たされた。格好だけ整えて実践しなかったため訴訟を起こされたわけだ。違憲決定が遅れたため、全ての責任は次の保守政権に押し付けられた。文在寅政権は執権直後、朴槿恵政権の慰安婦合意を事実上破棄した。しかし謝罪と賠償を受けるための外交努力はしていない。不作為の違憲状態に入ったわけだ。

 これまでのいわゆる「進歩政権」の態度は、尹美香氏の挺対協と似ていた。勝算のない海外の主戦場を避ける代わりに、慰安婦問題を最大限、国内政治に活用する。破壊するだけで建設しないわけだ。

 保守政権が慰安婦問題の解決に向けた外交努力を今のように放置していれば、尹美香氏の挺対協は黙っていなかったはずだ。「日本の謝罪と賠償を引き出せ」と青瓦台(韓国大統領府)に押し掛けていただろう。しかし、この政権で尹氏の挺対協は異常な沈黙を続けた。そのまま3年が過ぎ、尹美香氏は与党の国会議員に当選した。沈黙の見返りなのか。30年にわたる女性の人権運動を根幹から揺るがした沈黙。その見返りにしては、尹氏の金バッジはかなり安価だといえる。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)副局長

朝鮮日報から(引用)
2020年5月28日