今になってつくづく思う。



私は若い頃、
相当母と喧嘩して
言い合いして
口をきかない時期もあり
お互いに辛い思いをしてきたのだが
させてきたのだが



母も私も いつも本音をぶつけ合ってきたのだなーと。
本音をぶつけさせてくれる人だったのだなーと。


ぶつけるんじゃなくて
伝えるということを
知っていれば良かったんだけど
知らなかったからね。



どちらかが
言えない思いを隠し持って
拗ねたりせず
ぶつかってきた



もちろん
言えない時もあったよ
抑圧していた時もあったよ


けれど
平気なふりして
付き合ったりしなかった
平気なふりしたことがない





そんなママは嫌なんだー
嫌いなんだー
と態度で表してきた
なんでわかってくれないのよーと。


母も
もう圭子は面倒くさい
あなたはどうしていつもそうなの?


言いたいことを表してきたと思う
たぶん。


いい子ぶらない二人なんだ。
痛かったけどね。


だから
お互いに相当疲れた
はず


思春期の頃ね


今思えば
私たちはよく似ている


正直で
優して
激しくて
強い
そして弱い


嘘なんて言えないのだ
適当になんて付き合えないのだ
家族だからもちろん
他人ですら
適当なんてないのだ


本当に愛を持って付き合うから
傷つく時は
相当傷つくのだ



与えたくて与えたくて仕方がない人なのだ


30歳の時に父が亡くなり
私も離婚して一人だし
実家の近くに住んでいたので
それからは
母とはうまくやっていたけれども



仕事が忙しくなるにつれて
心身ともに疲れて
母に心を砕くことをやめた
あえてやめた



私は仕事を優先した


私の仕事は
他人をケアすることで
そのためには
日々自分の心のコンディションを整えることが
大事だと思っていたからだ


それも思いこみなんだけどね。



今は
母とは滅多に会わないし
やりとりもほぼない



とても平和で穏やかな距離です






嫌いじゃないし
尊敬してる
すごい人だと思う



でも
母に甘えたいとか 
母に認めてもらいたいとか
の思いが全くない




わかっているんだ

生まれた時から
ずっと
大切に
愛情を持って
いかりや家のお嬢さんとして
育ててくれたこと


怪我がないように
(2回ほど縫うけがをしたけれど)
病気がないように
育ててくれたこと



すごいプライドを持って
きちんと育ててくれたこと
同時に雑草のように
どこでも一人でも生きていけるように
育ててくれたこと


だから
ママの思う通り
私は雑草のようだ
多分どこでも生きていける
多分力強く



母は猫が嫌いだ
野良猫に餌をやっていた祖母を
嫌悪していたし
人間の子供のように猫を可愛がる人を
失笑していた



それを見て私はちょっと母に嫌悪を感じた。
その頃犬派だったけど。



そして
なぜか私は40歳過ぎてから
猫の魅力にはまり
今は猫が家族



親子でも
価値観や好き嫌いは、
思いは違うのだ
全く違うのだ

それでいいのだ



母の価値観を捨てて
私は私の価値観で生きていい
生きて幸せでいればいい



母と違っていい



変なんだけど
次に会うのが
母のもしもの時でも
私は後悔しないだろうなと思っている



ずっと いつでも
私のできる限りの
愛を出してる自信があるんだ



それは
多分母も同じだと思う


で、伝わってないとしてもいいのよ
誤解されていたとしてもいいのよ
そんなことはもうどうでもいいの



結婚して家を出るまでは
厳しくて
口うるさくて怖くて、だったのに
独立してからは
全く全く干渉しない
私を信じて自由にさせてくれた



自分を信じる
一貫してやり続けている人だったのだ。
だから強くて怖いんだ。



だから私も自分を
信じている。




わたしが今こうしているのは
やはり母のおかげです




いくつかあった人生の苦境の際に 
私が知らないところで
母が陰ながらサポートしてくれたおかげです。




親ってすごいね




身近な人が
一番の師匠なのよ。



一番悲しい思いをさせられていると思う相手が
実は一番大事な人だったりする



苦しい時
悲しい時
そこには必ず愛があるよ


最高だ

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