国鉄最後の日 | いかりぶ ぶらぶら

いかりぶ ぶらぶら

下総発。
いかりぶが個人的に気になったスポットを勝手気ままにレポートします。

昔、私は鉄道少年だった。

中学生になるとお年玉を貯めて自分のカメラ、一眼レフを買い、あちこちへ写真を撮りに出かけていた。

 

 

昭和62年3月31日火曜日。

日本国有鉄道は解体され、4月1日からはJRとなる。

 

そして国鉄最期の日には、国鉄総裁から各旅客会社社長への親書を乗せた夜行列車、”旅立ちJR号”が走るという。

他にも、あちらこちらで国鉄最期の日イベントが行われていたが、私はこの列車の写真を撮りに出かけた。

 

※ネガの状態が悪く、見苦しい画像が多いですが勘弁してください。

 

 

この写真は当日の撮影ではないかもしれないが、成田駅で撮った横須賀線直通快速。

千葉鉄道管理局製のヘッドマークが取り付けられている。

全国の鉄道管理局でこのようなヘッドマークを作成していたようだ。

 

 

東京駅で山手線。

都内の通勤電車はこのヘッドマーク。

 

 

田町駅?で、旅立ちJR東海号で使用する車両の回送列車。

名古屋から回送されてきて、普通は品川から車両基地に入るのだが、何故か一旦東京駅まで入っている。

後の新幹線は0系初期型の窓が大きいタイプだ。

 

 

上野駅へ移動しすると、常磐線普通列車に水戸鉄道管理局製のヘッドマークが付いていた。

 

 

上野駅からは最初の旅立ちJR号である、旅立ちJR北海道号が発車する。

ストロボを使用していますが、この当時はマニアの間でも停車中のストロボ使用は問題なしとの認識でした。

出発式の会場には近づけず、後ろの方は写真に写らず、別の場所で撮影すればよかった。

 

 

東京駅へ戻り、八重洲口のバスターミナルで国鉄ハイウェイバスを撮る。

Japanese National Railwaysの略、JNRを図案化したマークはこの後外され、JRマークへと変わる。

 

国鉄バスのシンボル、燕のマークはJRになった後も使われた。

 

 

東京駅のホームには九州、四国、西日本、東海へ向けての旅立ちJR号の出発式会場が設けられている。

空き時間には様々なイベントが行われているので、ご覧の人だかりが出来る。

通常の列車の運行を行った上でこの人だかりなので、怖い思いをすることもあった。

 

 

”旅立ちJR九州号”。

後の客車はお座敷車だ。

人が多すぎて身動きが取れず、写真は万歳してノーファインダー撮影している。

 

 

通勤時間帯になるとダイヤに臨時列車をねじ込むスキマが無くなるので、しばらく暇になる。

構内をうろついているとこんな屋台が出ていた。

中身はふつうのお菓子の詰め合わせだったと記憶している。

コーラの記念缶は数本持っていたのだが、いつの間にか無くなってしまった。

 

 

夕方からは各テレビ局が駅構内から生中継をおこなっていた。

こちらはセットがまだ完成していないのだろうか?

テレビでおなじみのアナウンサーやタレントの姿を見る事が出来た。

 

 

春休み期間中なので、臨時のブルートレインも走っている。

何故かこんな写真しか撮らなかったのだが、この当時でも東京ではあまり見なくなった初代ブルートレインの20系”あさかぜ”。

よく見ると乗降扉には”手であけてください”と書いてある。

 

 

”旅立ちJR四国号”。

ヘッドマークには瀬戸大橋が書かれているが、まだ開通していない。

宇野から連絡船に乗り換えて高松へ渡ったそうだ。

 

 

”旅立ちJR西日本号”でやっと式典が見える場所へ出れた。

ただし会場の背後。

こちらへカメラを向けている人たちはプロ・アマ入り乱れている。

腕章を付けている人は報道関係のカメラマンと思われる。

 

 

ホームにあふれるひとに接触しないように監視するため、駅の助役さんだろうか?機関車の外部ステップに添乗している。

かえって危険なのではないだろうかと思う。

この列車が一番注目されていたので、テレビ局の強力なライトと、報道カメラの強力なフラッシュの嵐の中をゆっくり発車して行く。

そのような状況なので、一般の人も結局ストロボを使用している。

 

 

一番注目されていた理由の一つがこれ。

最後尾に連結されていた展望車。

大阪の交通科学館に保存されていたのだが、この少し前に復活したのだった。

 

 

東京駅を最後に発車するのは”旅立ちJR東海号”。

午前中に回送を撮った列車だ。

 

 

最後は上野駅から”旅立ちJR東日本号”仙台行きが発車するのだが、これを撮影すると家に帰れなくなる。

終電に近い列車で帰宅した。

 

 

 

 

翌日からはJRとなり、今までと同じように列車は走っていた。

一晩ですべての列車にJRマークが取り付けられていた。

東京の通勤電車に取り付けられていたヘッドマークは、共通デザインの”こんにちはJR”に変わった。

写真は東京駅旧中央線ホーム。

 

 

後日、イベントで展示されていたヘッドマーク。

 

 

駅や車両のマークはあっという間に変わったけれども、線路端の看板はしばらく国鉄のままだった。