ファースト・トリップ⑤ | 徒然ブログ

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上海に向かう船に乗っていた日本人は明らかに男性が多かった。それも大体25歳以下。だからみんな血気盛んというか、女の子に声をかけまくり、青春を楽しもうという雰囲気に満ち満ちていた(笑)

 

最初は「ねぇ、何で中国に行くの?」みたいな一般的な話から始まる。池袋や新宿の居酒屋の合コンと一緒と言えば一緒だった。

 

私は今は血圧が少し高めなので酒は飲まないようにしているけど、実は生まれてこの方自分より酒が飲める人間に会ったことがない。当時は若かったせいもあったけど「どうしてこんなに酒を飲んでも酔わないのかしら?」と自分で自分が不思議になるぐらい酔わなかった。私が一人自分の事を不思議がっている間に周りはバタバタ倒れていくのが面白かった。ビールやらワインやらウィスキーやら飲めるだけ飲んでいたので当たり前と言えば当たり前なんだけど…(笑)周りはすぐに出来上がるし、勝手にゲーゲー吐き始めるので、

 

「ねぇ、ねぇ。」

 

とか言いながら肩に手をかけてくる男の子から逃げ出すことぐらいお茶の子さいさいだった(笑)だからそのうち誰も誘ってくれなくなった。社会人になっても一緒だった。会社に入ってから先輩が、

 

「酔っちゃった。」

 

とか言いながら男性にしなだれかかるのを見て、

 

「会社にもあたしぐらい飲める奴はいないな。」

 

と思った。

 

ある時船の中で知り合いになった中国人から『五糧液』を教えてもらった。私がザルだと聞き及んだのかどうか知らないけど、

 

「あなた中国語上手ですね。」

 

と流ちょうな日本語で話かけてきて、

 

「お友達になりましょう。飲みましょうよ。」

 

と言われて出されたお酒だった。私はビール党で「青島ビール」、「燕京啤酒」、「北京啤酒」、「五星啤酒」とかは飲んだことがあったのだが白酒は飲んだことがなかった。当時は池袋によく中国映画を見に行っていたのだが、その帰りに行く中華レストランのお兄さんから、

 

「白酒は中国ではおじさんが飲む。」

 

と言われていたので中国にある昔からのお酒はあまり飲まなかった(笑)。『芙蓉鎮』を見た帰りにレストランで北京ビールを飲むと、

 

「姜文もこんなの飲んでいたよなぁ。」

 

と思った。何故か白酒じゃなくてビールを映画の中でも姜文は飲んでいた。『太陽の少年』を見た帰りにも中国ビールを飲んでいた。映画の中に出てくるあの文革中とは思えない和やかな、晴れた空の映像はビールとよくあった。池袋ではそれに涼皮をおつまみに食べていた。

 

「何で中国に行くんですか?」

 

と聞かれた。彼は、

 

「中国に行きたい日本人の事を知りたい。」

 

と言う。普段なら無視したかもしれないけどいい男だった。その頃はまだいなかったけど思えば黄暁明に似ていた。それで話に付き合った(笑)私は今も好きだけど谷崎潤一郎が大好きで全集は全部読んだ。初期の彼は中国が大好きだったらしく何作も中国関係の小説がある。それで興味を持ったと答えた。

 

「魯迅は読みましたか?」

 

と聞かれたので、

 

「もちろん。」

 

と答えた。今中国に留学する若い人はあまり魯迅を読む人はいないだろうけど当時は十人中八人は読んでいた。『故郷』は大好きで中国語でも何回も読んだことがある。『阿Q正伝』を持っているバックパッカーには何人も会った。結局名前も明かさなかったけど目の前の知識分子風のイケメンは、

 

「中国は進歩したと思いますか?」

 

と聞かれた。だから、

 

「ここ何十年は足踏みしていたと思います。だって巴金が『文革博物館』を書いたぐらいですから。」

 

と答えた。彼は笑い出し、

 

「巴金が出てくるとは思わなかった。実はもっとアルコール度が高いお酒があるんですよ。あっちに行ってもっと飲みませんか?」

 

と言われたので喜んでお供した。彼も雑魚寝の二等客室の人だった。紅楼夢が大好きな人だった。日本で買った紅楼夢の全巻を見せてくれた。私も紅楼夢は大好きで全巻読んでいた。ヒマワリの種をおつまみに彼と私は夜と12時過ぎまでずっと紅楼夢の話をしていた。