毒ガスの大量生産拠点だった大久野島。
町のいたるところで廃墟となった場所があります。
当時はどんな状況であったのか。
若い未成年の労働者が連れ込まれて、
ほとんどが健康被害の後遺症を背負ってしまったそうです。
ウサギも実験台に使われていたそうですが、今こんなに増えているウサギは、毒ガスの処分後に持ち込まれたものだといいます。
処分後当初は、動植物に適した環境ではなかったと思いますが、
離された8羽のウサギが700羽まで増えた理由は明確には分かりませんが、
天敵もいなく、過った行動をした人間に愛されたからだとは思います。
町のいたるところに、ウサギが水を飲めるように器が置かれていたり、
定期的に餌やりをやっているようでした。
ウサギと人間の共存の生活がいまはできているようです。
毒ガス島と言われた島はいまはウサギ島と呼ばれております。
これからもウサギ、人間が平和に生きていける世の中が続いていけばと思います。