五十嵐 恭雄~YASUO IKARASHI~ PHOTOGRAPHER&DJ BLOG

写真は新津にて…後ろには紅葉のモミジも…

赤から黄色になって緑の葉になるという珍しい紅葉みたい。



昨日は撮影後にもくもくと画像処理を家にて…。

その後ビールを飲んだら眠くなり0時前に就寝…。

最高でした!!

昼に東京帰ります!

少し、外を散歩してこようかな~!

さて今日は!

5/3(sun)ゴールデンウィーク に渋谷のair にてKen Ishii 15th Anniversary in Japan KICK OFF Partyがあります。

この日はかなりの混雑が予想されます。

来られる際は私に直接連絡していただければ幸いです!

気軽に連絡ください!  ikarashi1983@yahoo.co.jp



5/3(Sun)
KEN ISHII 15TH ANNIVERSARY IN JAPAN KICK OFF PARTY@AIR

OPEN 22:00
Door
¥3500

DJ
五十嵐 恭雄~YASUO IKARASHI~ PHOTOGRAPHER&DJ BLOG

KEN ISHII

五十嵐 恭雄~YASUO IKARASHI~ PHOTOGRAPHER&DJ BLOG

RYUKYUDISKO(Tetsushi Hiroyama,Yosuke Hiroyama)

LOUNGE

DAIJIRO
Ryuzo
AYUMi
五十嵐恭雄
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AIRの特別な季節に、やはりこの人の名は欠かせない。

GWのど真ん中、登場するのは4年連続でニューイヤーズ・カウントダウンを熱狂へ導いてくれたKEN ISHIIだ。

相変わらず海外のビッグパーティからのオファーが絶えないテクノゴッドの、今年は活動15周年。

偉大な足跡の節目の年を迎えてますます波に乗る彼の最新プレイは、大いに注目に値するだろう。

もちろん、そこに華を添えるRYUKYUDISKOのパフォーマンスも見逃せない。
自身のルーツである「沖縄の音」にこだわり、琉球音階、伝統楽器、音符の使い方など沖縄の様々な要素をテクノミュージックに融合させるスタイルが話題の双子テクノバンドである。

04年のデビュー以来、多数のフェスティバル出演や海外でのライブ、DJとしての活動を積極的に展開。

また、m-flo、CHEMISTRY等、数多くのアーティストのリミックスワークも手がけるユニークで幅広いアクティビティは 、際立った存在感を発揮し続けている。
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KEN ISHII

93年、ベルギーのテクノレーベル 「R & S Records」からデビュー。イギリス音楽誌「NME」のテクノチャートでNo.1を獲得、その名を世界に知らしめる。’95年、アルバム「Jelly Tones」(R&S/SONY)をリリースし、大ヒットを記録。’96年には、「Jelly Tones」 からのシングル 「Extra」のビデオクリップ(映画「AKIRA」の作画監督/ 森本晃司監督作品)が、イギリスの “MTV Dance Video Of The Year” を受賞。日本人として世界に通用する音作りができるパイオニア的存在として、ワールドワイドで高い評価を得ている。’98年、長野オリンピック・オフィシャル・テーマのインターナショナル版を作曲、世界70カ国以上で常時オンエア。2000年には、アメリカのニュース週刊誌「Newsweek」で表紙&巻頭インタビューを飾る。同年、織田裕二主演の映画「WHITEOUT」の音楽を制作。アーティスト、DJ、プロデューサー、リミキサーとして幅広く活動し、最近は1年の2/3もの時間をヨーロッパ、アジア、北/南アメリカ、オセアニア等、海外でのDJで過ごし、まさにインターナショナルなアーティストとして活躍している。’04年スペイン・イビサ島で行われているダンス・ミュージック界最高峰の「DJ Awards」で “Best Techno DJ” を受賞、名実共に世界一を獲得。昨年は愛・地球博で日本政府が主催する瀬戸日本館の音楽を担当。今や彼の才能は全世界に知れ渡り、留まることを知らない。’06年11月にはアルバム「SUNRISER」をリリース。ダンスフロアで機能することを追求した別プロジェクト FLR でのリリース(REEL MUSIQ)も重ねている。


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RYUKYUDISKO


沖縄県出身。兄の廣山哲史と弟の廣山陽介の二人からなる双子テクノ・バンド。
哲史が遊び感覚で実験的に楽曲制作に入った頃と時を同じくして、陽介はDJとしての活動を開始。お互いの音楽スキルを共有し、理解し合えた頃、琉球ディスコとしての本格的な活動を始める。

結成当時から一貫しているのはあくまでも『沖縄の音』にこだわること。琉球音階、沖縄の楽器、音符の使い方など、沖縄・琉球の様々な要素を音楽制作の基盤にしている。互いに遠慮せずにとことん意見を交わし、妥協を許さない作品作りは兄弟ならではの強みだ。

DJで沖縄のクラブを訪れていた石野卓球に自ら声をかけ、作品のデモテープを渡したことがきっかけとなり、2004年6月に石野卓球が主宰するレーベル“Platik(プラティック)”からデビュー・ミニ・アルバム『LEQUIO DISK(レキオ・ディスク)』をリリース。7月には国内最大のテクノフェスティバルWIRE04(横浜アリーナ)に出演。“これまでにないテクノ・ミュージック”の噂を聞きつけた人々が、そのライヴを一目観ようと殺到し、多数のフェスで入場規制がかかった。同年11月には、大好評を得たWIRE04でのライヴパフォーマンスを収録したDVD『LEQUIO LIVE -LIVE at WIRE04-』を発売した。

2005年3月には、豪華ゲスト陣(石野卓球、TOBY、NAOTO等)とのコラボレーションを実現した待望のファースト・フル・アルバム『RYUKYUDISK O TECH(琉球ディスコテック)』を発売。さらに6月、初の本格的ボーカルトラックを収録したマキシシングル「CHURAZIMA(美ら島)」をリリースし、その新曲を携えて7月から8月にかけWIRE05、FUJI ROCK FESTIVAL、ROCK IN JAPAN FESTIVAL、SUMMER SONIC、RISING SUN ROCK FESTIVALと、数ある夏フェスを総なめにした。年末には日本最大の冬のロックフェスティバルCOUNTDOWN JAPAN 05/06(幕張メッセ)にも出演し、ロックファンにもその存在を十分にアピールした。

2006年1月~2月、初の全国DJツアー『Pitchwork DJ Tour 2006』(全13公演)を実施。ちなみにこのツアータイトルは、自身がレジデントを務め、定期的に沖縄で行っているレギュラーパーティ-の名前である。同年7月には、約1年ぶりとなる待望のセカンドアルバム『PEEKAN(ピーカン)』をリリース。前作よりも、さらに幅を広げた沖縄産ダンスミュージックの名盤とともに、前年に引き続き FUJI ROCK FESTIVAL、RISING SUN ROCK FESTIVAL、WIRE06、COUNTDOWN JAPAN 06/07等、数多くのフェスに出演。さらにこの年には、前年に続くアジア各国(香港、台湾、韓国など)へのツアーに加え、初のヨーロッパ公演となるロンドンでのライヴも果たした。
2007年、活動の拠点をキューンレコードに移し、6月発売のファースト・シングル「NICE DAY feat. BEAT CRUSADERS」を皮切りに、「ナサキ feat. MONGOL800」(7月発売)、「夢のFUTURE feat. KOTOMI」(8月発売)とコラボレーション・シングルを3枚連続リリース。続いて8月29日には約1年ぶりとなるオリジナル・サード・アルバム『INSULARHYTHM(インスラリズム)』と、Platik時代の未発表曲やRemixを含むレア音源集『R3(アール・スリー)』を2枚同時リリースし、その音源を携えて、初の全国ワンマンライブツアーも行うなど、これまでにも増して精力的に活動を行う。

2008年には実弟でもあるORANGE RANGEのNAOTOをフィーチャーした「OK Sampler」、NHKの番組『トップランナー』のテーマソングでもある「Top of the Island」と、2枚のシングルを発表。2009年には4枚めのアルバム発表を予定している。

また、自身の音源のみならず、m-flo、ORANGE RANGE、AIR、CHEMISTRY等、 数多くのアーティストのリミックスも担当しており、センセーショナルなデビュー以降、注目度がまったく落ちない、新しいスタイル、そして新しいスタンスのクラブ系アーティストである。