なのうたれづよいよね
でぃーえすなんて
どうでもいいやと
おもっていたけど
せいなる
とりが
かけていくのなら
でぃーえすも
おうえんするよ
きふれるくらいの
へいわなんて
いらないと
いうのであれば
あなたの
いのちなんて
まるで
たけのこだ
だとするのならば
すべての
おもいを
せいなるとりに
たくすがいい
たくすことができたなら
あなたの
いのちは
からがらに
なるだろう
そうすれば
べつれへむの
くらやみなんて
まったく
こわくなくなる
そんなきがしているなら
でぃーえすを
どこにでも
もっていく
こどもたちの
しょうらいなんて
まったく
きにならないじゃないか
せんきゃなんて
まったく
きにならないじゃないか
それが
てづかのせかい
それが
にじゅっせいきの
せかいなんだ
わかるか
わかるか
せいなるとりが
はるか
かなたに
とんでいくのが
ぼくには
みえる
とえさんとえさんって
なんだ?
こんなにも
うたうことが
できるなら
さいしょから
うたって
おくんだった
いつしぬけ
わからないって
うだうだ
してるんだったら
さいしょから
とえさんとえさんって
さけんでおくんだった
せいなるとりは
どこにいくのか
だれにも
だれにも
わからない
さうなに
れんぞく
さんじかん
はいっったらいかんのですわ
しんでまいますがな
そんなことしても
だれもほめてくれませんがな
しんでまいますがな
おかねが
ほしいんだったら
はたらけば
いいじゃないですか
はたらくばしょがないなら
あるけば
いいじゃないですか
あるいているうちに
みどりの
ひろばから
しろい
じゅもくが
さわぎだすじゃないですか
そうなったら
さうな
どころじゃないですわな
ざっそうのような
もんですわ
うたれづよいって
かんじよりも
さうなで
ちょうしこいてる
おっさんって
かんじですかね
ちょうし
こいてるわけですよ
えもかけないし
かんじも
おぼえられないし
ひらがなで
かいてるわけですけど
さうなで
あせだらだらですわ
ほんまにもう
だからといって
みずのなかから
でるつもりは
ないんですわ
ぞりぞりって
なんだ?
おくじょうから
みを
のりだす
わかものたちよ
わかものたちよ
おまえたちが
ぞりぞりと
ふあんになるなら
いのるがいい
けんめいに
いのるがいい
そんなに
ふあんなら
しろい
きょじんに
いのりつづけるがいい
ぞりぞりと
ありの
むれが
おまえの
うえを
こうししていくだろう
さりさりって
なんだ
なんだ?
うさぎの
ことだ
それは
むらさきいろの
うさぎのことだ
にじゅっせいきの
おわりを
つげる
いのちの
ひかりをみよ
そんなにも
あかるいのなら
わたしは
むしろ
みずのなかに
くらすことをえらぶ
みずのなかなら
あなたが
ゆらゆら
ゆれてみえるから
あなたの
こころが
ゆらゆら
ゆれているなば
ぼくの
こころも
こんなにも
くるしくないはず
だから
ぼくは
みずのなかでくらすよ
さいごの
おつげをきくまえに
きみは
たいようをみた
それも
いいだろう
それも
きみの
せかいかんだ
たいようが
たとえ
にじいろに
かがやいていたとしても
それは
しろいきょじんの
なせるわざだ
いのちが
そうげんに
ごろごろ
べしべしと
ころがっているようすを
そうぞうするがいい
それこそが
べつれへむのほし
なのだ
いいかげんに
わらいつづけるがいい
そうすれば
ふあんの
いどから
みずを
くむことが
できるであろう
げいさんげって
なんだって
きくまでもない
あしたが
みえないひとたちのことだ
かれらは
みずのほとりで
おともなく
きえてしまう
おとも
ないのだ
そのせかいには
おとが
あったのか
なかったのかすら
きおくに
のこっては
いない
そんなせかいなのだ
ひかりは
あるとおもっているひともいるし
ひかりすら
げんそうなのだと
なげきつづけるひともいる
だからといって
あおいかおを
しているわけでもない
むしろ
まいにち
しゅうだんで
はいいいろのかおを
うろうろと
みずの
ほとりで
たたずんでいるのだ
それが
そのせかいの
おきてだからだ
ときおり
そらには
せいなるとりが
とぶ
そのおもいは
げいさんたちには
とどかないのだ
とどかないのだ

