三連休明けの火曜日は、朝5時から動き出した。
連休明け、気持ちを整えながら、酷暑の一週間を乗り切った。
火曜日夕方、妹に連絡をした。
八月、お盆過ぎに、二人の元嫁さんのそれぞれの子供達三人と、母親を会わせる事を企画している。
先日、妹とあれだけ揉めて、と言うか、絡みに絡まれて 笑笑、めちゃくちゃ言い合いになりながらも、なんとか気を取り直し、話を進めている。
母親からは、
「思いっきり喧嘩しながら、あんたらが決めなさい。」
と言われているが、こんなにも兄妹で、意見が合わないものかと思う 笑笑
自分にしてみれば、母親と子供達を会わせる以外にも、久しぶりに会う三人の子供達と、水入らずの時間が欲しいのに、全てに口を挟んで来る妹に、閉口しそうになる 笑
「Sちゃん(前妻の娘)やって、R(前前妻の息子の)に初めて会うのに、話す事なんか無いやろ。だから、私たちとボーリングでもしてな〜云々」
「いやね、Sは話したいって言ってたよ。それに、久しぶりに子供達にも会うからね、思い出作りをしたいねん。神戸やったら、北野坂とかポートタワーとかかな。」
冷静に返したが、本音は、
「はぁ?なんでも勝手に決めつけんなや💢 そやし、なんで東京から神戸まで来て、ボーリングなんかせなあかんねん💢 神戸なんか行くとこない言うて、他から来た人は異人館とかポートタワーとか見たいやろ。もう、口挟むな!!」
だ 笑笑
ずっとそんな性格だったようにも思うが、やはり更年期障害なのか、以前と違う気もする。
兄妹愛はあっても、一言一言にムカムカとしてしまう 笑
三連休の間、テレビを着けると、「初めてのお使い」や「無人島から脱出」などの番組がやっていて、一々、家族愛に感涙した。
家族愛っていいなという思いはあるが、二度の離婚の際の修羅場を思い出すと、それを乗り越えるのは、自分には無理だったように思う。
妹に対する愛はあるが、一緒にいれば、三日も持たないだろう 笑
元々、デリカシーが無い人や、荒々しい人が好きじゃ無いのだが、離婚後、独り身で過ごして来て、ズケズケと踏み込まれる事を、拒絶するようになった。
昨年、前職の大先輩に、あーしろこーしろと強烈に絡まれて、
「何を人の生き方にごちゃごちゃ言いよん?俺がどう生きようが俺の勝手やろ?違うんか?」
と説教してしまった 笑
元々、誰かの生き方を、他人がどうのこうのと言う事は好きじゃ無い。
本人にしか分からない事があり、それは誰にも真意は理解出来ず、例え、他人が見て間違ったように見える人生であっても、安易に否定していいものでは無いように思う。
より、そうした思いが強くなっている。
自分から、誰かに何かを押し付ける事は元々無いが、誰かから押し付けられる事も拒絶するようになった。
改めて、愛とはなんだろうか?と思う。
ただ愛して、大切に思うだけで無く、愛するあまり、それは時に暴力的にも、支配的にも、押し付けがましくもなりうる。
愛しすぎるが故に憎しみが芽生えると、愛憎になる。
そうした事を受け入れてでしか、本当の愛は得られないのか?と思う。
そうした事の根源には、エゴがあるように思う。
人を愛して、愛を求め過ぎるが故に、荒々しくなり、
「なんで俺を愛してくれへんねん!!俺はこんなにも愛してるのに!!」
そうした思いから、愛を試そうとしてしまい、DVをしてしまうようになるのだろう。
人を愛するうちに、自分だけを見てくれない相手を憎むようになる。
「なんで私だけを見てくれへんの? なんで他の人と話すの? なんで? なぁ、なんでなん?」
二度の離婚の際、そうして迫る相手を、何処冷ややかな目で見ていた。
長年の友人からの甘えが過ぎるようになり、付き合いを断った事もある。
自分から、人に何かを押し付けたり、エゴを満たす為に、相手に過度の要求をする事はなかったが、周りにはそうした人がたくさん居た。
自分にもエゴがあったが、それを我慢して、そうした人と無理をして付き合っていた。
我慢しきれなくなり、エゴを出して本音を言うようになると、彼等とぶつかるようになった。
一時は、そうした衝突が絶えなかったが、最近は、はなからそうした人を見抜くようになり、相手にしなくなった。
先日の、経営者の彼女の提案にも、彼女のエゴを感じて、すぐさま拒絶した。
長年自分と向き合って来て、自らのエゴが無くなりつつあると、不思議と、人からエゴを押し付けられる事が少なくなった。
最近、ただ自分の大切な人を愛して、大切な人に自ら足す事で、満足するようになると、ありがとうを欲しがったり、彼等から愛されたいというのも、エゴから来るものであると思うようになった。
うまく言えないが、自らのエゴが無くなりつつあり、そうした変化があると、楽に生きられるようにはなったが、人とどう付き合ったらいいのかが、分からなくなった 笑
互いのエゴを押し付け合うような付き合いは、もう御免だし、人のエゴを一方的に押し付けられる
のも御免だ 笑
そうした事を拒絶するようになり、自らのエゴが無くなって来ると、周りの人に対して、何も求めなくなった。
人と会いたいと思う事はあっても、会ってどうするのかと言う思いがある。
好きな女性は居るが、会ってセックスをしたい訳じゃない。
今の自分を理解して欲しいという気持ちも薄れて来ると、自分の事をベラベラと話す事もしなくなった。
離婚後、新たなパートナーは欲しいと思っていたが、それは、寂しさ=不足感を埋める為であったり、性的欲求=エゴを満たす為であった事がわかった。
最近、エゴが無くなりつつあり、不足感がある現状を受け入れるようになると、パートナーが欲しいという気持ちも薄れて来た。
誰彼と飲みに出る事も、なんだか不毛に思うようになり、あまり出かけなくなった。
「人は人、自分は自分。」
「見ざる 聞かざる 言わざる 思わざる。」
と過ごすうちに、人に干渉しなくなり、人から干渉されようとしても、うまく躱すようになった。
何かについて意見を交わす事も、先述したように何かを押し付けられる事もなくなり、押し付ける
事もない。
かといって、日々、無機質な感覚は無く、行く先々で愛想を交わしながら、アハハー♪と笑い、過ごせている。
冒頭に、エゴによる愛について触れた。
家族や周りの人間関係において、過干渉にならないと、人と深く関わる事がなくなる。
自分がそうした人付き合いを望まなくなった事を、ネガティブに捉えてはいない。
きっと人生のステージが変わる過渡期であり、新たな良き人との出会いの予感はあるが、また一つ、何かを喪失したような感覚があり、それを不足感として感じていたのだろう。
今年に入ってからの、そうした変化に、自分が冷たくなったのか?という思いがあったが、これは、自分軸が太くなった事による変化なんだろう。
目の前で起きる事の意味を、外に求めず、自身を内観するようになり、人を見聞きしなくなると、更に内観は高まるようになった。
深い呼吸をしたり、思考をしない事で、日々、自身の内面を整えていると、次第に自分軸が太くなり、周りで何が起きても、周りにネガティブな感情の人が居ても、気にならなくなった。
周りからどう見られているか、周りからどう評価されているかも気にならなくなり、周りに求めなくなった。
そうなると、これまで如何に、他人軸に振り回されて来たのかが、よく分かる 笑
自分軸を持てないまま、他人のエゴに、ブンブンと振り回されていた 笑笑
自分軸を持ち、それが太くなって来ると、自らの中からエネルギーが産生され、次第に質感が重くなり、引力を持つようになったように感じる。
これから、自分の人生を生きるにあたり、また何かが変わろうとしているのだろう。
不足感の正体は、自身の前向きな変化によるものである事がわかり、ホッとしている。
ふと、以前、自らの事を、他の輝く星の光を受けて、やっと光る事が出来る星のように思っていた事を思い出した 笑
ようやく、自ら輝く恒星になろうとしているのかも知れない。
昨年秋頃から始まった新たな気付きにより、意識が大きく変容している。
書き出してみると、頭がスッキリとした 笑
朝ごはんを食べて、神社にお参りに行こう♪