夜中に目が覚めた。





突然、ある事に気がついた 笑





先日、以前から知り合いの、同い年の経営者の女性から、





「私がokkey@の事をプロデュースするき、東京でお店やらない?」





と言われ、貴女の下では働かないよと、はっきりと伝えた。





何かが引っかかっていて、それが、起きた瞬間に分かった。



 


確かに陳腐なアイデアとは思ったが、出資についてや利益の取り分など、何も聞かず、その前に断りを入れた。






彼女だからだったのか?






ブログにも書いたように、人格に魅力は感じない。





目の前の利益を求めて、助けてくれる人を使いこなす。





そうした様子を、何年も見て来たので、彼女と何かをやりたいとは思わない。






その彼女に、プロデュースをするき!と言われて、何を偉そうにと、イライラとしたのだろうか?





彼女が同い年の女性だったから、それが嫌だったのだろうか?





彼女が成功している経営者だったら、それも年上の男性だったら、どう思ったのだろうか?






言い方が気になったのだろうか?






プロデュースと言う言い方が、上から言われてるように感じたのか?




 


直感的に、すぐに断りを入れた事に後悔は無い。






ただ、そうした事が気になっていて、今週、自問自答していたが、はっきりとは分からず、それが、目が覚めた瞬間に分かった。






それは、相手が誰であれ、誰かの支配下には入らないと言う事だ。



  



相手がイーロンマスクであろうが、プーチンであろうが、関係無い 笑




 


ヤクザに、俺の下につけと迫られても、嫌だと断るだろう。





サラリーマンを長年して来て、派閥に入れと迫られた事もあるが、はっきりと断って来た。






若い頃から、いかつい部長にも屈せず、頭を押さえつけようとする先輩の手を跳ね除け、ウザ絡みする先輩を相手にせず、年を重ねてからも、忖度などどこ吹く風?で、自由に生きて来た。






人のご機嫌を取る、評価を得るために、自分を曲げて何かをした事は無く、自分がしたい事をやって来た。





こうして書くと、ただの聞かん坊のように思われるかも知れないが、自分が、誰かに支配的に振る舞う事も無い。





後輩であろうと、新人であろうと、彼等の意思を尊重して来た。





肩書きや年齢、人によって態度を変えず、ずっと自分のスタイルで生きて来た。






考えてみれば、二度の結婚の際も、いつしかがんじがらめに支配しようとする、彼女達の事が嫌だったのかも知れない。






誰にも支配されたくなくて、誰も支配したくも無い。





人に上も下も無い。






動画で、なんかの経営者が、勝ち誇ったように偉そうにしている様を見ると、虫唾が走る。






同様に、経済的に困窮している人が、卑屈になるのも違うと感じる。






若い頃から、何も無くても、頭を押さえつけて来る人の手を払い、今でも、マウントを取ろうとする人を相手にしない。






職に貴賤は無く、もちろん人にも貴賤は無い。






人どころか、動物だって下では無い。






「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」





まだ4、5歳の頃、諭吉さんの言葉を、誰かに聞いた時、理解は出来なかったが、すでに受け入れていた。





それ以降ずっと、その思いを胸に生きて来た。






ただ、世の中はどうだろうか?






人は人を支配したがり、高みに昇った人は人を見下す。





自ら腹を見せて、屈服してまでも、利を得ようとする。





経済的格差は広がり続け、成功者は自らを上と位置付け、成功しなかった者は自らを下だと意識する。





成功者は驕り、利を守ろうとし、下にいる人を目にもかけない。





そうした世の中で、人は本当に幸せを感じられたのだろうか?





経済が優先され、人の尊厳は軽視され、命までもが軽視される。




 


持つ者は守られ、持たざる者は明日も分からない。





こんな世の中はいつまでも続かないだろう。






資本主義が作り出した歪な社会は、やがて変わりゆく。





今、日本だけで無く、実は世の中全体が、資本主義の過渡期の中、ストレスフルになっている。






溜まったストレスはやがて吹き出す。






それが第三次世界大戦で無い事を切に願う。





夜中に目が覚めた途端、そんな事を思った。






子供の頃からずっと、誰かから聞いた偉人の言葉を信じて来た事に、気がついた。





何故、イーロンマスクを見て、イライラするのかが分かった 笑





驕った人たちが作り出す世の中に、左右されないで生きて行こうと思った。






再び休もう。