それにしても、雨が降りすぎだろう 笑






三連休なのに、明日も降り続く予報になっている。





そろそろ雨上がりの虹が見たくなる。





いきなりだが、ここ最近、モテるようになった。






あははー♪と笑っていると、皆が集まって来て、皆も笑顔になる。





昔は、怒りなどの鬱屈した感情を、ずっと腹に抱えていた。





笑いは好きだったが、いつも人を揶揄する笑いだったり、皮肉や自虐的な笑いばかりで、面白いと思われていたとは思うが、明るくはなかったと思う。





このエリアを担当し始めた頃、6年前は、まだまだそうしたキャラクターだったが、昨年秋頃、人生がネガティブからポジティブにガラリと変わってからは、明るくなった。






悶々と考えこまなくなり、いつも「大丈夫♪大丈夫♪」と思えるようになると、要らぬ思考から解放された。






いつも杞憂を抱えて、周りからどう思われているかを気にしてばかり居たのが、それから解放されると、楽観的に生きられるようになった。






「自分はめちゃくちゃツイているから、全ては大丈夫♪」と思っていると、全ては大丈夫になる 笑





いつも杞憂を抱えていると、不安=安心出来ない日々を送ってしまい、それだけで幸せを感じられなくなる。





周りを見てしまうと、どうしても人と自分を比べてしまう。





今はサラリーマンなので、常に相対的に評価されるが、本当はそんなのどうでもいい 笑






絶対的に自分を信じて、受け入れるようになると、それを周りから良い悪いと評価される事自体に、強烈な違和感を感じるようになった。






自分軸は次第に太くなり、絶対大丈夫な自分を信じて、周りの目を気にせずに日々過ごしていると、要らぬ事を考えなくなり、自然と楽観的になり、腹に抱えるものも無く、健全な笑いを取れるようになり、明るくなったように思う。





昨年からそうした変化があり、それに伴い、モテるようになった。





ここ半年くらい、人が集まって来る事が嬉しくて、自然と人付き合いが増えた。





人から慕われたり、頼られたりするのは、単純に嬉しい。





以前は、見返りを求めてしまっていたが、最近は、そうした思考が薄れて来た。






人から何かを頼まれた時、自分がしたいのかどうかと、自分に問うてみる。






無理をすると、「やってあげている。」と考えてしまい、見返りを求めてしまう。






以前は、






「ありがとうも無いのかな?」






「なんでそんなん頼まれなあかんの?」






などと、気分を悪くするような事があったが、自分がやりたい事であれば、「ありがとう。」を貰えたらラッキーくらいに、思えるようになった。






そうした機会が増えていくと、やった事も忘れていて、思わぬタイミングで「こないだは、ありがとうございました!」とか言われると、嬉しくなる。





自分が負担に思うような事は、最初から受けなくなり、無理をして腹を立てるような事も無くなった。





そうした変化があり、自身の成長を感じる。





自身の成長とともに、周りとの付き合いも変化した。





以前は、ともに悪口を言い合って、笑いにしていたような人や、人を羨んでばかりいる人、常に人と比べては、優だ劣だと驕ったり落ち込んでいるような人とは合わなくなり、自然と距離が出来てきた。





一時は、誰彼に「足す。」事をやっていたが 笑、それは、嫌われたくない、好かれたいと、考えていた事が分かった。






自分軸が太くなると、人からどう思われるかが、気にならなくなった。






それと合わせて、自分からも、好きだ嫌いだとジャッジをしなくなった。






あまり周りを見なくなり、意識は自分に向くようになった。






そんな変化があると、最近、年齢や性別に関係無く、「あ、この人素敵やな。」と思えるような人や、話しているだけで、相乗的に喜び合う事が出来るような人に出会うようになった。






好きだ嫌いだとジャッジはしないが、あまり付き合いたく無いと思うような人は、自然と離れて行き、それに代わるように、素敵な人と出会うようになり、人の入れ替わりを感じる。

  





以前は、誰彼に「足す。」事で、自分が損をしているようにも感じていたが、最近は、自分が「足したい。」と思う人にそれをやるようになると、むしろ、喜びを感じるようになった。





昨年秋頃の気付きから、そうした良い変化を感じていて、それは嬉しいのだが、ふと、物足りなさを感じる。





先日、その物足りなさの正体は、期待感から来るものだと気付いた。





今の環境でも幸せを感じているし、基本は、孤独に生きる事を受け入れているので、満足はしているのだが、自分の成長を実感するようになり、今よりももっと、自分がやりがいを感じたり、より多くの人に役立てる環境を望んでいる。






モテていても、拙速に女性に迫る事はせずに、本当に自分が望む人といつか出会う事を信じている。





ふと、物足りなさを感じた時、もしかしたら以前のように、拙速な快楽を追い求めると、満足が得られるのかも知れないと頭を過ったが、それはすぐに違うと分かった。






ここ最近、どうしたら不足感を埋められるだろうか?と考えていたが、先日、その答えが分かった。





不足感を埋めようとせず、期待もせずに、今を受け入れればいいと、急に分かった 笑






と同時に、拙速な快楽では、もう不足感を埋める事が出来ない事を理解した。






以前は、これまでの人生をネガティブに捉えていたが、昨年秋に、全てに意味があった事に気付くと、ポジティブに捉えられるようになった。






不足感の原因は、先のありたい姿から見て、今の自分に足りないものを求めていた。






不足感を受け入れると、途端に満たされるような感覚になる。






日々感謝しながら、アハハー♪と笑っていれば、自然と望む環境に導かれるのだろう。





これまであまりモテた事が無いので 笑、最初はどう対応したらいいのか?と戸惑っていたが、最近は、自然に振舞えるようになった。






最初は嬉しかったが、別に、誰彼にモテる事を望んでいる訳では無い。



 



周りの人に対する、思いやりや愛想を無くすことなく、それを良く思ってくれるのか、あまり良く思わないのか、モテているか、モテていないのかは、どうでも良く、自然とやりたいようにやればいいのだろう。






昔から愛想はあったが、八方美人的になっていた。





人から好かれたい、嫌われたく無い、と思わなくなると、以前は、知らず知らず、見返りを求めて

いた事が分かった。





 

モテるとかモテないなど、どうでもよくなり、そんな事より、自分が、本当に大切に想う人を、日々愛していれば、それだけで満足するようになった。





誰彼にモテて、ちやほやされたい訳でも無く、大切に想う人からの愛を求める訳でも無い。






自分軸が太くなると共に、自己肯定感が高まると、周りからどう思われるかが、気にならなくなり、更には、自己愛が高まると、愛される事を求めなくなった。






自分が愛する大切な人達が、日々、無事に過ごして、幸せを感じている事を、朝晩、祈るだけで、満たされるようになった。






欲が無くなると、利己的に求める事をしなくなり、利他に喜びを感じるようになった。






自分がこの先、何をしたら良いのか、どう生きるかと考えて来て、ようやくその答えが見つかろうとしているのだろう。





来週はまだまだ雨が降り続くようだが、土曜日には雨がやむようだ。 






その頃には、きっと虹が見えるだろう🌈