三月も終わると言うのに、冬のような寒さだ。
来週くらいから、いきなり暑くなるそうで、春や秋が無くなった気がして、少し寂しい。
この写真は、朝ウォーキングをしている途中に立ち寄ったコンビニで、桜開花に合わせて、みなさんが願いを書くという催しをやっていて、思わず書いたものだ。
書いて貼り付けた途端、なんだか良い予感がした。
自分が思い込んでいた「自分」が崩壊してからこの一か月間、様々な気付きに恵まれて来たが、なんだか落ち着かないような感覚があった。
自分が実は、愛に価値を感じ、愛を求めて、生きて来た事に気付くと、今目の前にある仕事や環境に対する違和感が、これまでよりも強くなった。
売り上げばかりを求めて、粗暴な精神論ばかりが飛び交うような、愛とはかけ離れた社会に、もう居たくないと強く思うようになった。
けれど、辞めたとしても、先行きが見えている訳では無い。
自身が路頭に彷徨うと、子供達への仕送りも出来なくなる。
目の前の仕事をやる気にはならない中、上司からは追い詰めるようなメールが来る。
そんな状況を苦しく感じ、落ち着かず、先のブログに書いたように、19日に、もう会社に本音を話して辞めようと本気で思い、早めに会社に戻ったのだが、たまたま上司が早めに帰宅していた為、思い留まった。
20日、春分の日に、朝からウォーキングをしていたら、気付きに恵まれた。
起きる事にネガティヴもポジティブも無く、それを良い悪い、好きだ嫌だと決めているのは自分であり、そのどちらも受け入れていけば、自然と先に進める事が分かった。
昨日、そんな気付きがあると、なんだか重たかった気分が楽になった。
自分の変化から成果が上がらなくなり、やる気にならない事がバレて、責められる事に、不安や恐怖を感じていた。
昨日、気付きに恵まれると、そうした事になっても、別に構わないと思えるようになった。
これまで、なんとか成果を上げる為に、焦って仕事に奔走する事を繰り返して来たが、それも、不安や恐怖からの行動だった。
自分が不安や恐怖を感じている事を、ただ受け入れると、なんだか気にならなくなった。
自分でも、何が起きたのか分からなかったが、自分の変化と、それに伴う恐怖や不安を受け入れる事で、良いも悪いも判断しなくなると、例え周りから責められようが、何が起きようが、かまわないと思えるようになった。
やはり、まだまだ、
「自分がどうにかしないと。」
と言う思いが抜けきれずにいた。
顕在意識で自分を信じようとすると、どうしても自分が現実をコントロールしたくなるが、潜在意識や魂レベルまで、全てを信じる事で、現実をコントロールしようとするのを手放せる事が分かった。
現実をコントロールしようとしていたのは、自分の執着=顕在意識であった。
改めて執着を手放すと、コントロールしようとしていた、ネガもポジも、良いも悪いも無くなり、
その判断をしなくてもいい事が分かった。
今日、そんな気付きがあると、すーっと気分が楽になった。
顕在意識で、現実を嫌がって執着したり、先の不安に執着したりするのは、仕方が無いと思うが、そうする事で意識はそこに留まり、先に進めなくなってしまう。
潜在意識や魂レベルで自分を信じると、そうした執着は必要無くなり、何が起きても大丈夫と思えるようになる。
起きる事象にネガもポジも無く、それらに捉われずに在るだけで、道は拓けていく。
春分の日には何かがあると思っていたのだが、そんな気付きに恵まれ、気分がすーっと楽になり、すでに自分の人生が拓かれていると思えるようになった。
来週25日は満月🌕であり、満開の月光桜🌸を見に行こうと思う。
また新たな気付きの予感がする♪
全ては導かれている♪
ワクワクだけを感じて、先へ進もう♪