先日、愛に関して、気付きがあった。






こうした気付きの後には、必ず揉み返しがあるのだが、早速、見舞われている 笑





色んな事を愛を持って見てみる。






10年前の上司は、嫌なところもあったのだが、いいところもあり、すでに許している。






が、愛しているか?と自分に問うてみると、愛してはいない 笑






思いやりは持てるか?と自分に問うと、それもギリギリだ 笑






嫌いと言う感情は、薄くはなっているが、やはり完全には無くならない 笑






ギリギリ許している、それも、自分の為に許しているに過ぎないというのが、本音なんだろう 笑






過去に、嫌な事ばかり言う友人に対しても、無理をして、思いやりを持って、接していた事を思い出した。






何故そのようにしていたのか?と心理を探ると、自分の本音である、「嫌な事を言うのをやめてほしい。私は嫌な思いをしている。」と言うのを、相手に伝える事をしたくない気持ちがあった事に、気が付いた。



 



それを深掘りすると、当時はファミリー的な感覚があり、それを言う事で相手を傷つけてしまうような感覚を持っていた事が分かった。






あとは、いつか変わってくれるかもと言う思いもあったが、最後まで彼は変わらず、やがて避けるようになり、結局は連絡を断った。






最後まで、彼に本音を言う事は無かった。






いい人ぶったり、思いやりがある人ぶったりしながら、ずっと、優しい自分を無理に演じては、自分に我慢をさせて、自分を傷つけていた。






世の中には、人に嫌味を言ったり、人を下げたりしないと、自分を確立出来ないような人がいて、最終的には、着信を拒否したり、会わないようにしたりして、離れて来た。






離れると、新たな被害を受ける事は無いが、傷ついた心はなかなか癒されない。






そうした人の事を思い出しては、許して来た。






これは、あくまで、自分の為にであり、いつまでも許さずにいると、自分の中にネガティヴが残ってしまう。





そんなややこしい、そんな嫌な奴に、嫌われても構わないと、今なら当たり前に思うし、最近は、そうした人が近寄って来たとしても、早めに本音を言うようにしている。






だが当時は、友人と言うファミリー的な感覚から入っているので、なかなか本音が言えなかった。




 


上司はファミリーでもなんでもないが 笑、友人は離れていても、昔ファミリーだった人なので、今でも家族に近いような感覚がある。






亡くなった父親を思い出す時、良い思い出よりも悪い思い出の方が多いが、それでも、父親の事を愛する気持ちがあり、それに近いように思う。






父親に対しても、亡くなるまで、本音をぶつけるような事は無かったが、やはり、傷つけたく無かったのだろう。





そんな事を考えていると、その時々で、生まれ育った家族に始まり、様々なファミリーの中で生きて来た事に気が付いた。





ふと、現在同じチームにいる、ネガティヴ新人女子の事が気になり始めた。





同郷であり、気を許して笑いながら話していると、どんどんネガティヴを当てて来るようになった。





周りのリーダーや部長を、散々こき下ろしては、アイツら死ねばいいのに!なんて言う 笑






会社の指示に対しても、なんでこんな事をせなあかんのですか?おかしないですか?めっちゃ腹立ちますよ!と、いつも愚痴ってばかりいる。






まぁ、まぁ、分かるけど、あまりキツイ言葉はあかんよーと、いなしながら聞いていたのだが、最近、こちらにネガティヴを当てて来るようになっていた。





普通に笑いながら話していると、ツッコミがだんだんとキツい言葉になっていく 笑






ひどい時には、






「乞食か!」、「認知症か!」






挙句は、






「バツ2なんて、人生めちゃくちゃマイナスですよねww」






普通に会話をしていて、そんなパワーワード?を出して来るので、その度に、笑いに変えたり、それハラスメントやで!と笑いながら返したりして、相手にせずに流していたのだが、彼女の事をファミリー的に見ていた事に気がついた。






職場で、彼女にとって気を許せる存在の自分が、彼女に真顔で怒って傷つけたくないと考えていたのだが、実は、自分が傷付いている事に気がついた。






ファミリー的に見ていたので、無理をして、思いやりを持って、我慢をしてしまっていた。






できれば、自分のサインに気付いてくれて、普通の話が出来るようになればいいと思っていたのだが、自分が傷つけられているのに、なにをそんな相手に対して、無理に思いやりを持とうとしているの?と思った。






別に、本音を言う事で、嫌われても、気まずくなってもいいし、放置していると、自分は傷つけられ続ける。






かと言って、相手を傷つける事になってもなぁ…と迷っていたのだが、電話を手に取った瞬間、ネガティヴ女子に電話していた 笑





 

「今、電話大丈夫かな? 実は〇〇さんに腹が立っているんだよね。思い当たる節はあるかな?あなたが会社に入って来てから、乞食だとか認知症だとか、そうした言葉に、実は傷ついていて、めちゃくちゃ嫌な思いをしてるんだよね。これって、何やと思う? あなたがいつも周りの人に対して陰で言ってる、ハラスメントだよね?

あなたが、ネガティヴな陰口を言っている時、周りが嫌な気持ちになっているのも、気がついているかな?これも、ハラスメントなんだよね。 俺はあなたの言葉に、嫌な思いをして、傷付いているんだよね。どう思う?」







「それは…気がつきませんでした。申し訳ありませんでした。」






と言うので、







「で、どうするの? 俺がキレた方が良かったのかな?キレさせたかったのかな? 俺はあなたの事を後輩として思ってるから、そんな事をしたくないんだけど。で、どうしたい?」






と言うと、






「私が何を直して、どうしたらいいのか、教えてもらえますでしょうか?」






なんて言う。






ので、キツい言葉を使わない、陰口や悪口を言わない、社会人として常識を持ち、ルールや節操を守るなど、指導をした。






ついでに、







「これはあなたの事を想って、言ってるんじゃないよ。俺や周りの人が、嫌な思いをしたり、傷付いたりしたくないから言ってるんだよ。分かっておいてください。」






と伝えて、電話を切った。






こうした場面で、本音は、やめんかったら、逆にどないしたろうか?、なのに、あなたの事を想ってとか、気遣って言うのをやめた 笑






最初に、腹が立っていると言ったのも、こちらが気に食わない事を伝える為に、敢えて言った 笑






電話を切ってから、傷付いてないだろうか?フォローした方がいいか?と考えたが、それもやめた 笑





放っておいたら、ツッコミとは言え、どんどんエスカレートしていただろう。






こちらが嫌がっている事を伝えながら、言い過ぎないように気をつけて、彼女を傷つけないようにしたのは、まだファミリー的に見ているからなんだろう。


 




その夜、彼女から、改めて申し訳ありませんでしたとの連絡があり、自分が同僚とは言え、ファミリー的に見ていて、貴女が損するからやめた方がいいよと伝えると、理解してくれた様子だった。





自己愛が高まるにつれて、自分を大事にするようになった。





以前は、家族やその時々のファミリーの中で、自分を我慢させてばかりいた。






その時々には、例の上司や嫌味な友人を含めて、ファミリーをめちゃくちゃ嫌うような事は無く、それを何故かと思っていたのだが、その時々で、ファミリーとして愛そうとしていた事が分かった。





時代や年代が変わり、自分も変わり続け、振り返れば、あの時のあれは無かったよね、あれはどう考えてもあかんよね、とか思う事があるが 笑、時代や年代が変わると、様々な価値観や考え方がガラリと変わり、そんな事はあって然りなんだろう。





以前のブログに書いたように、ファミリーが欲しい自分が居る事に気がついた。






離婚してから、独り身にはなったものの、自分には愛する子供達がいる。






更に、ここ数年、自己愛が高まるとともに、周りの人に対する愛も持てるようになった。




 


愛を持って、周りの方に接していると、周りからも大切にされるようになった。






仕事関係の人や普段お会いする人達から、以前よりも愛されていて、慕われるような感覚があり、何処にいても、アハハーと笑いながら過ごすようになった。





何かが変わり始めた事に気がついてはいたが、子供達以外にも、自分には素敵なファミリーがいる事に気がついた 笑






以前の様に、変な気を遣ったりする事もなく、誰かを傷つけるような事もなく、互いに思いやりを持てるような人達が自然と集まり、ファミリーを形成している。






過去、生まれ育った家族や様々なファミリーの中に居て、苦しい事や嫌な事もあったが、それは自分がまだまだ未熟であり、そこで様々な事を学ぶ為に、そうしたファミリーに居たと考えると、比べるものでは無く、その時々で、自分に必要な、自分にあった、ファミリーにいたのだろう。






やがて、今のファミリーからも離れる時が来る。






それも、そう遠くない未来に離れる予感があり、それを考えると少し寂しく思うが、また少し成長した自分が、今度はどんなファミリーに会えるのだろうと想像すると、そちらの期待の方が膨らんで来る。





見事な揉み返しにあったが 笑、自分が、周りの人達を、ファミリーとして見ていて、その時々で、愛を持って見ていた事が分かった。






愛を持ってはいたが、自己愛が足らず、ずっと見返りの愛を求めていたのだろう。






自分愛に満たされると、ようやく、周りの人を愛する事が出来るようになった。






書いていて気付いたのだが、これまでの様々なファミリーの人達も、自分に愛を取り戻させようと、していたのかも知れない。






きっと全ては愛なんだろう♪