今夜は月が綺麗だ。







昨晩、さんまさんと北野武さんのドキュメンタリー番組を見た。






悲しい事や辛い事があっても、それを表には出さずに、全てを笑いに変えながら、二人の天才が、互いに認め合う様子に、一流のお笑い芸人のカッコ良さを見た。






考えてみれば、自分も、どんな時でも笑って来た。






若い頃から、お笑いが好きだった。






辛い時にも、悲しい時にも、ガハハーと笑い飛ばして来た。





どんなに辛い事があっても、お笑いを見て、ガハハーと笑えば、気分を持ち直す事が出来る。






小学生の頃は、辛い事があると、鬱々としていたように思うが、笑いに出会ってからは、そうして乗り越えて来た。






テレビのお笑い番組や、深夜ラジオを、見聞きして、いつも腹を抱えて笑っていた。






大人になってからも、それは変わらず、辛い状況や悲しい事があっても、自分で笑いにして、笑い飛ばして来た。






「真に受けない。」事を、最近覚えたように思っていたが、実は若い頃からそうだった事に気がついた。





いつも笑いにして、弱音を吐いた事が無かった自分が、ある時、笑えなくなった。






ギャンブル依存から抜け出せず、破滅が見えた時、離婚前の苦しさも合わさり、しばらくは、全く笑えない日々を過ごした。






その間、数年間、離婚に至るまでは、何をやっても面白く無く、鬱になったかのように過ごした。





冗談も言えない。





何を見ても笑えない。





精神的に追い詰められ、大人になってから初めて、人生を真に受けた期間だった。





それ以降、再びガハハーと笑えるようになり、生きて来た。





自分では繊細に生きて来たつもりだが、周りの人からは、豪快な生き様と言われる事が多くなった 笑




元々自分の人生すら、真に受けていなかった 笑




 


「大丈夫。なんとかなる。」






というのも、最近気付いたと思っていたが、実は、若い頃からそんな生き方だった。






周りがちゃんと、将来の事に真剣に取り組んでいる中で、いつも真に受けずに、ガハハーと笑って来た。





真に受けていないので、全てはテキトーだった 笑


 



自分がどう生きるのか、何をしたいのかについても、自分と一向に向き合おうとしなかったので 笑、わからないままだった。





 

周りからは、「真剣に生きてない。」だの、「人生に熱くなれてない。」だのと、色々と言われて来たが、自分でも、真剣に、熱く生きた事が無かったように思う 笑






真剣に生きるには、何をどうしたらいいのかが、分からなかった 笑






ただ、ガハハーと笑っていれば、なんとかなって来た 笑





仕事だって、30歳後半になるまでは、テキトーにやっていたが、転職をして、ガハハーと笑っていたら、収入は上がった 笑






生馬の目を抜くような、外資系の厳しい環境の中でも、ガハハーと笑って仕事をしていたら、成果が上がり、周りから認められるようになった。






更に転職をして、国内の会社に入り、全く違う環境に戸惑ったが、笑いながらやって来て、成果を上げて来た。






皆が難しい顔をして、何かを削るように働いている中で、自分はガハハーと笑い飛ばして来た 笑






10年前、ギャンブル依存からの脱却以降、ようやく自分と向き合うようになり、ストイックに自分を追い詰めた時期もあったが、最近になり、再び、いろんな事を真に受けなくなると、「大丈夫♪大丈夫♪」と、気楽に笑いながら過ごせるようになった。





以前は全てにテキトーで、ギャンブルを始め、色んなトラブルがあったが、今は、そうした事がなくなり、ガハハーと笑いながらも、キチンと生活を送れるようになった。






今年、10年間のストイックな期間を終えて、以前はネガティヴな思考に捉われがちだったのが、ポジティブな思考が出来るようになった。






ネガティヴなのに、ガハハーと笑い飛ばしていたのは無理があり、笑いながら、何処で自分を、ピエロのように感じていた。






内面と外面の矛盾が、破滅に至ろうとした、原因だったように思う。






今、ポジティブに笑っていられるようになると、プラスの相乗効果となり、周りとの関係性も変わって来た。






日々、多少のネガティヴな事が有っても、以前のように蓋をするのでは無く、ポジティブに変換出来るようになった 笑






昔の友人からは、変わってないように見えるらしく 笑、いつも笑っていていいよなーとか言われるが、自分なりに壁はあった事を考えると、いつも笑っている為には、工夫や努力が必要なように思う。





自分の人生を、真剣に、ストイックに生きるか、笑いながらコントのように生きるか。






どちらがいいのかは分からないが、自分は笑いながら生きて来た。






以前、ストイック期に、人生をストイックに生きるか、コントに生きるのか?と言うブログを書いた事があるが、自分は間違い無く、コントのような人生を歩んで来た。






落ち込む事があっても、ストイックになっても、なんとか笑い飛ばして来た。






考えてみれば、破滅を目の前にしたり、全財産を失っても、生きてこれたのは、笑いに救われて来たからなんだろう。






そうした事を考えると、自分と向き合わずに、ガハハーと笑いながら、なんとかなって来たのは、恐らく自分だけの力では無くて、きっと何かに守られ、その頃から何かに導かれていたように思う。





これからどう生きるのか?についても、ストイック期に散々頭を悩ませて来たが、もう考えない事にした 笑





笑いながら、ポジティブに居ると、自然とやりたい事が、思い浮かぶようになった。






小説を書きたい、映画を作りたい、カウンセラーになりたい、ジャズギターを弾きたい、バーをやりたい、人前で歌を歌いたい、お笑いをやりたいなど、日々、やりたい事が浮かんで来る。






これまでは、ビジネスでやりたい事とばかり考えていて、縛りを設けていたが、お金の事も真に受けた事がなく 笑、なんとかなって来て、これからもそれは変わらない事を考えると、その縛りも、もう要らないのだろう。






今の仕事をどうするか? 子供達への仕送りは続けられるのか? これから何処で、どう、誰と生きていくのか?






そうした事を決める為に、人生を変える為に、自分が真剣にならないといけないような気になっていたが、その生き方は向いておらず、ただ笑いながらポジティブにいれば、これまで通り、なんとかなるのだろう 笑







伊勢神宮から帰って来て、数日になる。






息子の上乗せの仕送りの事や、目の前の仕事の事など、これまでは、真に受けては、ネガティヴな思考を辿っていたが、自身が喜びや嬉しさ、感謝や思いやり、愛と平和、そして笑いの世界に居る事を意識すると、気にならなくなった 笑






頭に浮かんでも、ふと目線を上げると、自分の居る世界を認識する 笑






目線の下半分はネガティヴ、上半分はポジティブみたいに別れていて、下半分に目線を下げると、いくらでもネガティヴな思考を辿れるが、上半分を見ると、実は、目の前には、キレイな月や素晴らしい景色が広がっていて、ポジティブな世界しかない。      






「自分が目の前の世界を作り出している。」






事を、改めて実感する。
















世の中の事もそうで、ニュースの中の事を真に受けていると、ネガティヴになるばかりであり、真に受けなくなった 笑






増税か減税か知らないが、毎月の住民税や社会福祉費など、既に引かれたい放題であり 笑、年金問題なども、真に受けていたら、腹が立って仕方がない 笑






こちとら、子供達にいくら払ってると、、、






もとい 笑、これらも真に受けない 笑





 

今朝も、周りの仕事に対する意識レベルの低さに、は?と言いそうになったが、これも真に受けない 笑






大切なのは自分が居る世界であり、そこが平和であれば、周りの事は、「よかよか♪」とスルーすれば良い。






お金を取られ放題な事に腹が立つのは、多くを望むからであり、毎日飯が食べられて、酒が少し飲めれば、あとはガハハーと笑っていれば、寝る時に幸せを感じられる 笑






腹を立てていれば、笑う事も出来なくなり、それでは自分が不幸になる。






何が無くても、日々笑う事が出来れば、それだけで幸せになる。



 



ネガティヴばネガティヴを呼び、ポジティブはポジティブを呼ぶ。






ポジティブにガハハーと笑っていれば、そのうち世の中もポジティブに変わっていくだろう 笑





真摯に生きてネガティヴな世界に生きるのか?、






コントの世界のように、真に受けずに生きて、ポジティブな世界に生きるのか?






どちらにせよ結末は、そんなに変わらないのだろう 笑






自分は死ぬ瞬間まで、何があっても、ずっと笑っていようと決めた♪






綺麗な月を見て、そんな事を思った。