またソファで寝てしまった 笑






起きてからすぐに、ウォーキングに出かけたら、冷たい雨が降って来たが、久しぶりに、半円の虹を見た🌈





背景が曇りなのは少し残念だが 笑、フルにかかる虹は、今年初めてかも知れない。






昨晩は、満天の空に流れ星を見て、今朝は、虹を見て、なんだかいい事ありそうな予感がする♪





今朝、ウォーキングをしながら、なんとなく最近の気付きをなぞってみた。






人に自分に優劣をつけてみない。






性別や年齢などの区別、差別をしない。






人を自分を、コントロールしようとしない。






そんな気付きについて、あれこれと考えていると、





「在る事がすでに素晴らしいんだよ。」






と心の声が聞こえた 笑






在る事が素晴らしいのに、多い少ない、大きい小さいなど、優劣をつけては、優は素晴らしく、劣はダメだと判断する 笑






勉強出来れば褒められ、いい大学を出れば尊敬され、いい会社に入れば羨ましがられる 笑






まるで、そうじゃないと、価値が無いように錯覚をしている。






綺麗さや美しさもそうだが、優劣をつけては、そうじゃないものを、無価値のように扱う。






今の世の中は、効率化ばかりが優先されるようになり、非効率なものや、世の中から見て価値が無いものを、簡単に排除しようとする。






モノだけで無く、人に対してもそうである事を考えると、優劣をつける事で、価値のあるなしを刷り込み、皆が、誰かに刷り込まれた価値を盲目に求めているように思え、そら恐ろしくなる。





誰かが決めた価値を求めて、人と競争し、人と比べ、人を自分を、優だ劣だと、一喜一憂する。 






一喜一憂ならまだいいが、優な者は劣な者を卑下し、優を誇示し、劣な者は劣等感に苛まれ、無価値感に苦しみ、優を羨む。






本当は「在る」だけで価値があるのに、それに気付かずに、人を自分を、良いか悪いかと見てしまう。





そんな事を考えていると、いい事も悪い事も、いい人も悪い人も、誰かが決めた価値観を元に、自分がそう判断しているだけであり、それに一喜一憂してしまう事に違和感を覚える。





「在る」が無くなれば、「無」である。






想像して欲しいが、いい事も悪い事も全く無い日々を、延々と、ただ生きるのは、ただただ虚無の

世界に居るようで、苦痛でしか無い。






いい事も、悪い事も、実は同義であり、ただ事象が「在る」に過ぎず、それに対して、誰かに刷り込まれた価値観で、勝手に一喜一憂しているが、本当は、「在る」事自体が、ありがたいのだろう。





わずかな量子から、この銀河系の世界は生まれたと聞くが、元々は何も無く、ただただ虚無でしか無かった事を考えると、全ての「在る」は有り難く、有って当たり前では無く、それを、たかが人間の、偏った価値観で、無価値と決めつける事自体が、バチ当たりであり、何か犯してはいけない決まりを破っているような気がして来る。





自身に対しても、「在る」だけで、実は有り難いと考えると、今、生きている事自体が、素晴らしいと思えてくる。






昨日、人を支配し、コントロールしたいのは、自分を支配し、コントロールしようとしているから、と気付いたが、他人と自分を区別せずに見ると、同じように「在る」事が素晴らしく、共にありがたいのだろう。






自分を支配し、コントロールする事をやめると、制御が効かなくなるように思うが、〜してはいけない、〜の状態に有ってはならないと、ネガティヴな支配になっていて、それは、自分を制限してしまっていた事に気が付いた。






優劣で見なくなり、世の中の誰かが決めた価値観を手放せば、そうした制限は必要無い。






制限を解除し、自分が「在る」事自体に価値を感じると、ようやく、






「本当に望んでいる事をやればいいよ。」







と素直に思えた。





自分が、今「在る」事自体が、奇跡的な事であり、生きている事自体、命自体が、素晴らしい。






全ての「在る」ものも、そうして見ると、有り難く感じ、在る事自体が、喜びだと思えて来る。






「在る」を軽視して、誰かが決めた価値観で、価値のあるなしを決めて、自分は幸せだ不幸だと嘆き、勝手に価値がないと決めたものを排除するような精神性では、いつまでも、本当の喜びなど感じる事が出来ないのだろう。






ここ最近、感謝や思いやり、喜びや嬉しさ、愛と平和の世界に生きたいと思っていて、すでに自身が、そうした世界に移行しているように感じた。






さぁ、有り難く、朝ごはんを頂こう♪