今週は月曜日に気付きが有ってから、ふわふわと笑いながら過ごしている。






エリアでの仕事関係の人、ホテルの人、得意先の人、バーで出会う人達と屈託なく話せていて、仕事も進み始めた。






ただ、パートナー会社の人だけは、お会いするたびに、イライラとさせられる 笑






時間にルーズであり、主体性も無い。






成果も上げず、やる気も無い。






いつも、のうのうとしている様子を見ると、相手にしないと思っていても、イライラとしてしまう。





かと言って、ちゃんと仕事をしようよ!と言ったとしても、営業も出来ないから、どうしようも無い 笑






先のブログにも書いたが、彼が出来ない事を頼まれて、やってあげても、ちゃんとありがとうも言えない 笑






顔を合わすとストレスになるので、なるべく会いたくないのだが、






「okkey@さ〜ん、教えてくださ〜い。」






と、何事も無かったかのように近寄ってくる 笑






基本、意地悪はしたく無いから、教えてあげるが、こっちの気も知らないでと、イライラしてしまう。






木曜日も、調子良くスタートしたのに、顔を合わせた途端、イライラが募って来て、めちゃくちゃ冷たく対応をしてしまった。






何故、イライラしてしまうのか?と考えると、以前はイライラをぶつけていたのをやらなくなり、相手に対する不満が高まっていくからなのだが、イライラをぶつけても、諭しても、仕事が出来ないし、やる気もないから、解決策が無く、その状況にイライラしてしまう 笑






イライラしても、放っておくしか無いのだが、のうのうとしている様を見ていると、思い知らしてやりたくなる。






彼が若ければまだいいのだが、ほぼ同い年なので、意識が低い事を、知らしめてやりたくなる。






そんな事を考えていると、木曜日午後になる頃、久しぶりに心が曇ってしまった。






相手にしない、忘れようと思っても、ほぼ毎日顔を合わさねばならない 笑






すれ違う人がモラルを守らなくても、通り過ぎれば、すぐに忘れる事が出来るが、毎日会うのであればそうはいかない。






最近、人と比べない、人を能力で分けたりしないと気付きが有り、気持ちよく過ごせていたのに、早速、壁に阻まれてしまった 笑





以前よりは、随分と丸くなったつもりだが、まだまだ、自分の意識が高いと思っているから、周りの意識の低さにイライラしてしまうのだろう。






仕事だけでなく、モラルや交通マナー、挨拶や対応に至るまで、そうした事が目につき始めると、キリがなくなり、イライラが止まらなくなる 笑






以前は、そうした事を我慢せずに、周りに注意をしたり、時に怒っていたが、周りに求め、周りを変えようとするのでは無く、自分が変わろうと意識して来た。






スルーしたり、見ないようにしたり、相手にしないと決め込んだり、彼らは余裕が無いのだろうと考えたり、時に慈愛の精神を持って見たりして来た。





これは、元奥さんにも言える事だが、自分のパートナーには、そんなふうに見れない時がある。






家族に対しては、歯に絹を被せずに、ものを言うのと同じように、仕事のパートナーや、関係性が近い人には、はっきりと自分の考えを伝えたくなる。






そうした事を考えていると、ふと、自分のそうした感覚は、モラハラになるのでは?という疑念が湧いて来た。






何がモラハラなのか?、いまいちよく分かってないのだが、これまで、仕事でもプライベートでも、自分の意見を通そうとする所があり、相手は、それが正しいかどうかよりも、ただ嫌だと感じたのかも知れない。






自分が正しいと思っている事も、話し合うようにはしているが、もしかしたら、ただの押し付けになっていたのかも知れない。






自分が、知らず知らず、ハラスメントをしていたのかもと考えだすと、今度は自分を責めるような気持ちになってしまった。





そうした事を深掘りしてみると、まだまだ自分が、人をコントロールしようとしていた事が分かった 笑






自身に対して、コントロール=支配するように、人に対しても、コントロールしようとしていた。






自分を厳しくコントロールしていると、それから外れたり、違う事をしようとする人を見ると、イライラしてしまう。






先日、周りを、自分の思うようにしようとしていた事に気付いたが、その原因は、自分に対して、厳しくコントロールしていた事だったと、気が付いた。






自分の左脳が、勝手にあれこれ考えてしまう事から解放されたように感じていたが、まだまだ左脳は自身を周りを見張り、コントロールしようとしていた 笑






数年前から、べきべき思考をやめようと取り組んで来た。






正義漢ぶったり、いい人ぶるのも、やめて来た。






昨年は、自己否定感の存在に気づいて、それを解放し、今年の初めには、十善戒の縛りを解くと、体が軽くなったような気がした。







今年に入って、思考自体が執着である事に気付き、左脳が勝手に思考するのを、意識してやめてみると、随分と楽に過ごせるようになったが、まだまだ、左脳は、自分を見張り続けていて、支配しようとしていた 笑






周りの仕事の事や、車のマナー、周りの人の言動が、目についていたのは、自身の事を見張り、支配していたのと同様に、周りもコントロールしようと、見ていたからなんだろう。






パートナーや、距離が近い人となれば、尚更、自分が自分に求めるような、厳しい目線で見ていた。






そうした事に気付くと、自分を周りを見張り続け、支配するような意識を解いた。





何故、そうしたコントロールを自身に強いていたのか?と考えると、杞憂と同じであり、生きる上で必要なものと捉えていたからなんだろう。






左脳により、自分を支配し、コントロールするのでは無くて、感じたままに生きても、マナーを著しく破るような事はないし、人を傷付けるような事もしない。






過去に、正義ぶる、いい人ぶるのをやめても、自分の言動は大して変わっていない。






そうした左脳による縛りは、自分だけでなくて、周りにも同じように、要求してしまう事を考えると、縛りなど無い方がいい。






結局、自分を一番縛り付けていたのは、自分自身であり 笑笑、それは生きづらさをもたらしていた。






「そろそろ、自分を自由にしてやろうよ。」






そんな声が聞こえた気がした。





ふと、尾崎さんの、卒業の歌詞を思い出す。






🎵

これからは何が俺を縛り付けるだろう。




仕組まれた自由に、誰も気付かずに、足掻いた日々も終わる。




この支配からの卒業




闘いからの卒業

🎵




影響を受けた自分は、世の中のルールや常識、様々なものに縛られるのを嫌い、抗い続けて来たが、実は、自分の思考が、自分を縛りてけて来た

事に気付き、その縛りを解くと、途端に、世の中が明るくなった。






周りと比べては優劣をつけて、自分や人を厳しい目線で見て、周りの言う事を真に受けては、抗って来た。






自身をコントロールするのと同じように、周りもコントロールしようとしていた。






自分を縛り付けていたのは、社会でも会社でもなく、世の中のルールでもなく、自分自身だった。






今週、自分の左脳の支配から解放されると、ようやく、本当に、自由になれた気がした。





10年の節目を迎えた時、






「自分の思うように生きる。」






事を、ずっと求めていた事に気付いた。






実は、自分が自分を支配していて、制限を掛けていたなんて、まさに目から鱗だった 笑






自分の支配を解くと、これまでに感じた事の無いような解放感に包まれた♪






今日は仕事を終えて、満天の星が見える、海岸線でブログを書いているが、先程、流れ星が見えた⭐️





きっといい事がある♪






今日はゆっくり休もう♪