10時間くらい寝た 笑






体が疲れていたのだろう。






今週も、部長カンファレンスをこなし、エリアを行ったり来たりしながら、頑張った。







起きて着けたテレビで、宗教2世の方のドキュメンタリーが流れていた。






親が信じる宗教の教えに、子供の頃から従い、大人になって、その教えに疑問を抱くようになっても、親に対する気持ちとの間で、苦しみ続ける。






中には、教えに従わないと、母親が、家から中学生の兄を追い出し、兄が戻ってくるのを拒み続け、最後は兄が自害したと、涙ながらに話す方も居た。






最近、イスラムで争いが起きていて、彼らが、自らの信じる宗教以外を排除する必要があると、信じ込んでいる様子を目にすると、信心や思想の恐ろしさを感じる。






幼い頃から、宗教の教えを刷り込まれると、それを疑う事無く信じるようになる。






自らの人生に苦しみ、それに手を差し伸べる宗教に入信し、それが、我が子を死に追いやり、苦しめても、信じる事をやめない。






イスラムの教えを刷り込まれた人は、他の宗教を排除する為だけに命を捨てる。






宗教1世の家に育った人は、刷り込まれた教えと社会との間で苦しみ、宗教に疑問を感じながらも、親に対する愛情を捨てる事が出来ず、苦しみ続ける。






宗教への疑問から、一旦、宗教を離れても、居場所を失ったように感じて、再び入信をした人も居た。





おかしいと思いながらも、様々な縛りから、そこから離れられない。






イスラムの社会の中では、おかしいと言うだけで、殺されるのだろう。






熱心な信者の親に、あなたはおかしいと言えば、

家を置いだされてしまう。






信心に狂った親をおかしいと思っても、親に対する愛情を断ち切る事が出来ない。






中に、同じ2世の方でも、宗教の教えがおかしいのか、親がおかしいのか、それとも両方がおかしいのかと、意見が食い違う場面があった。






イスラムや信仰宗教の教えを、詳しくは知らないが、全ておかしい訳では無いのだろう。






宗教に狂った親だって、全ておかしい訳では無いのだろう。






全てを否定し、全てを拒絶すると、命が危機に晒されたり、居場所を無くしたりする。






全てがおかしい訳じゃ無いから、全否定は出来ず、その狭間で苦しみ続ける。






ある苦しんだ2世の方が、カウンセラーから、






「あなたは自分の人生を生きていいんですよ。」






と言われて、ようやくいろんな事を断ち切る事が出来たと言う話を聞いて、はっとさせられた。






以前、ブログに書いたように、自身が、子供の頃から人生に絶望感を感じていた理由が分かった。






子供の頃、教育に熱心だった母親に、小学生高学年になる頃から、友達と遊んだり、スポーツをする事を、禁じられていた事を思い出した。






いつも、






「我慢しなさい!!」






と言われ続けていた。






そうした境遇で、やりたい事をやらせてもらえない事に絶望を感じて、感情や自分の意志を無くしてしまった。






2世の方の苦しみと比べると、まだましだとは思うが、自分自身も、自分の人生を生きられない事に、不満を抱いて来た事が分かった。





今更、母親を責めるつもりも無いが、自分も、2世の方と同じように、若い頃は、母親を悲しませない事を常に意識して、生きていた。






感情や意志をうまく出せないまま、社会に出たものの、やりたい事も分からず、やりたい事では無いサラリーマンの仕事は、ストレスでしか無く、何処にも行き場がないまま、ギャンブルにハマった。





自分の意志で生きられない事に、ずっと不満を抱え、自暴自棄になり、ギャンブルに身を投じていた。





本気で、このままギャンブルにハマり続けていく人生なんだと考えていたのだが、40歳になる頃に、何かが自分の中で抗い始めた。




 


自分の意志で生きられない事に絶望し、諦めたまま、自暴自棄になり、人生を終えるところだった。





人生の破滅を目の前にして、激しく抗ったのは、

自分の魂だったように思う。





数年前、40歳半ばになっても心配ばかりしている母親に、 






「もう、俺の事を心配しないでいいよ。杞憂は現実になるからね。心配され続けるのは、申し訳ないけど迷惑やねん。」






と伝えた事があり、それ以降、母からの連絡は少なくなった。




 


それまでは、自分も、常に母親の事を心配ばかりしていた。






まだまだ、親の決めた人生を歩もうとしていたが、それ以降、冷たいようだが、母親の事を気にしなくなった。






自分の母親を毒親だとは思いたく無いが、大学生になっても、交友関係に口を挟んでいた事を考えると、愛情も行き過ぎると毒になると言う事だと思う。






こうした事を考えると、自分の弱さを棚に上げているようであり、また、過去の親を責める気持ちを持つ事に罪悪感を感じるが、そこに苦しんで来た自身の気持ちを素直に認めてあげないと、子供の頃の自分の悲しみを癒す事は出来ないのだろう。






幼い頃から、自分の意志を無くし、自分を見失い、やりたい事も分からなくなり、人生に絶望感を感じていた。






青年期を経て社会に出てからも、ずっと自己愛も持てずに、自暴自棄な人生を歩んで来て、40歳の頃から、自分の人生を取り戻し始めた。







自身が、なんらかの事を学ぶ為に、そうした人生を選んで生まれて来たとしても、30年以上に渡って、まるで芯を抜かれたように生きていた時期は返って来ない。






自暴自棄な人生に破滅を見たあの日、生と死の狭間に居た。






破滅が見えたあの日、自分は、死んでいてもおかしくなく、この10年間、まさに手探りで、戻れば破滅する不安に苛まれながら、失われた30年を取り戻す為に、生きて来た。




 



自分が、今のサラリーマン生活を捨てても、やりたい事を諦め切れないのは、長年に渡る、そうした思いが執念となっているのだろう。





自分が、やりたい事を諦めきれないのは、子供の頃から我慢ばかりして来た事を、取り戻そうとしているのだろう。






我慢ばかりして来た脳は、やりたい事を諦めるクセがついていて、拗ねたように、やりたい事を教えてくれなかった。






輪廻転生があるとしたら、これまでの人生では、自暴自棄のまま、破滅を目の前にして死んでいたのかも知れず、10年の修行の様な時期も、その辛さに耐え切れず、元の自暴自棄な生き方に戻り、いずれ破滅していたのかも知れない。


 





自分が、この人生を選んで生まれて来たとしたら、自分の人生を映画だとしたら、それらを乗り越えて来て、必ずやりたい事をやらせてあげないと終われないだろう。




 


もう52歳になってしまったが、ようやく、自分がやりたい事が見えて来た。







こうして書いていると、宗教2世の方や自分が特殊な環境下で育って来たような感覚になるが、実は、殆どの人が、自分の人生を生きる事なんて出来ていないのだろう。







皆、それぞれ、何かに縛られたり、逃れられない環境の中で苦しみ、やがて諦めてしまう。







「諦めが肝心」






「手放せば楽になる」 

     





「置かれた場所で咲きなさい」






そうした事を聞く度に、反発を覚える。






以前の職場の先輩や、周りの人からも、






「定年まで今の仕事をやった方がいいよ。」






「今の稼ぎを絶対に捨てたらあかんで。勿体無い。」



 


なんて言われるが、試されているように思う。






言わないが、諦めるのは貴方の生き方であり、否定はしないが、押し付けないで欲しい。






書いていて気付いたが、やりたい事をやる事も、好きな女性と付き合う事も、諦めたように装っていても、諦めた事が無いのだ 笑笑






人から何と言われようが構わない 笑






バカと言われようが、諦めが悪いと言われようが、俺は必ず、自分のやりたい事をやり、自分の人生を生きる。






諦めて、






「俺の人生はこれでよかったんや。」






なんて、絶対に言いたくない 笑笑







格好悪くても、無様でも、自分の人生を生きる為に足掻き続ける。







絶望しても、破滅を目の前にしても、生き続けて来たのは、決して諦めなかったからなんだろう。







長年を掛けて、ようやく取り戻した自分の人生。






「53歳になる年に起業をして、やりたい事をやり、人の役に立ち、繋がりたい人と繋がり、お金を稼いで、自分を、愛する人を、幸せにする。」






気が付けば、52歳になった♪






誰が何と言おうと、自分の人生を生きる♪






幸い、縛りは無くなった♪






人生の第二章を、死ぬ気で楽しもう♪