夜中3時過ぎ、目が覚めた途端に気付きが訪れた 笑
昨晩、「笑いの日」を見ながら、寝落ちした。
昔、諦めたと言うか、なりたかったモノの一つに芸人がある。
ダウンタウンが好きで、松本さんの笑いにどハマりし、ヤンタンから、四時です、夢会え、ガキ、ごっつ、それ以降も、見続けて来た。
30年以上に渡り、ほぼ毎日、松本さんを見ない日は無い 笑
こんなに、長きに渡り見続けている人は他には居らず、古くからの知り合いくらいに、脳は認識していると思う。
一度もお会いした事は無いが、同じ市の出身であり、母親は彼と同じ小学校を卒業している。
松本さんは自分よりも八つ年上であり、彼が二十代前半の頃、ラジオや出始めたテレビを、食い入るように見聞きして来た。
一言一句、聞き漏らすまいと思うくらい、松本さんのボケが好きで、40年近くに渡り、腹を抱えて笑わせてもらっている。
小学校高学年の頃、プロレスとドリフしか、テレビを見せてもらえなかった自分には、松本さんの笑いは衝撃的だった。
面白い事を言いながら、松本さん自身も、腹を抱えて笑っているのを見ると、それだけで幸せになる。
ずっと、お笑いを見て来たが、新たなお笑いを作り出し、結婚して、子供さんが出来てからは、少し落ち着かれたように思うが、いまだに感性は色褪せず、松本さんを越えるような人は、現れていない。
最近では、ラ○ジャタイが、若い頃の松本さんに少し近いお笑いをやっていたり、若い人の中にも、面白い人は居るが、少し暴力的であったり、悲しみがベースにあったり、そもそもめちゃくちゃな人であったりと、落ち着いて見てられないような感覚があり、それと比べると、松本さんの笑いは、ベースに優しさがあり、行き過ぎず、やり過ぎないように、周りをコントロールしていて、ずっと安心して見ていられる。
松本さん愛が止まらないが 笑、こんなにも、毎日のように見ている人は居らず、何かの縁を感じるくらい、自分の中では存在感が強く、少し大袈裟だが、彼なしでは自分の人生は無いくらいに思っている。
若い頃、お笑いに憧れていて、中高の友人も、面白い友人が多かった。
中に、中高の番長的な友人が居て、彼自身、面白いのだが、いつもめちゃくちゃ笑っていて、笑いが好きな人だった。
彼の周りでは、不思議な事に、奇跡的、突破的な笑いが巻き起こる事が、よく有った。
自分自身、彼のお母さんの葬式で、立ち焼香の台の前に、何故か座ってしまい 笑、手を伸ばして、台の上の焼香のツボを手探りで探していると、列席の親戚が爆笑するような場面があったり、彼と歩いていると、何故か鉄の階段が、ゴーンと鳴り響くくらいに、頭をぶつけてしまったりして、それを見て彼は、いつも転げるように笑っていた 笑
先程起きて、当時、あり得ない事が起きて、いつもそれが、渦のような笑いになっていたのは、番長の彼が、強くそうした事を、望んでいたからだった事に気が付いた。
松本さんの番組を見ていても、彼のセンスが面白いだけでは無く、松本さんが、強く笑いを求めているから、周りのメンバーにも、奇跡的な笑いが
降りて来るのを何度も見て来た。
中でも、山崎邦正さんが、罰ゲームで、お腹に入れた巨大風船を膨らませている時、パンパンに膨らんで、もう割れるかと言うタイミングで、シャツの下から風船が、ブリンと飛び出し、まるで何かが産まれたように見える場面があるが、今だに、動画を見て、毎回腹から笑うくらい、奇跡的な笑いである。
そうした事が、松本さんが居る事で、彼が強く望んでいるから巻き起こっていた事が、起きた瞬間に分かった 笑
昨日のブログで、恐怖に生きるか、喜びに生きるかと書いていて、それとリンクする。
目の前の現実を、恐怖心から強く疑い、不安に思えば、そのようになり、強く信じて、必ずいい方向にいくと思えば、うまく行き、喜ばしい現実が目の前に現れる。
「思考は現実化する」
以前、この本を読んだ際には、半信半疑だったが、それ以降、自分自身、強く望んだ事が現実となるような事を経験するうちに、それを信じるようになった。
そうした、「必ず面白い事が起きる。」や、「必ずこうなる。」と言う想いを、邪魔するのは、
「ほんまに面白い事になるやろうか?」
「ほんまにうまくいくやろうか?」
と疑い、そうならない事を恐れる気持ちであり、先に書いた上司の様に、恐れに生きていると、常にうまくいかない現実を呼び寄せてしまう。
これは、正に、要らぬ執着心の現れだと思う。
大人になると、難しい顔をして、理屈ばかりで考えてしまい、会社やビジネスの場面では、そうしていないと、ふざけているのか?と思われるような事があるが、逆に、理屈では無く、無邪気に求め、望めばいいのだろう。
最近、自分にも周りにも、
「大丈夫♪大丈夫♪」
と言いながら過ごしていると、あれこれ考えながら過ごしていた頃よりも、難なく現実を乗り越えられるようになった。
上司が、恐れ、疑い、うまくいかない可能性を考えるのは、自分を信じられていないからであり、それを埋めようと、周りに求めているように思えるが、突き詰めるとそれは、彼自身の覚悟の無さであり、甘えなんだろう。
自分を信じていれば、例え、うまくいかない結果、そうならない現実になったとしても、それを真摯に自分の責任として受け止めて、すぐに次の手を打てばよく、全ては自己責任になるが、上司のように、自分を疑い、周りを信じていなければ、うまくいかない時に、周りの責任にしてしまう。
どちらがいいかは、言わずもがなである。
突き詰めると、どのような人生を送るのかは、精神性や器の違いの、現れのように感じる。
強く疑う事無く望めば、それが現実となる。
そこに邪気や恐れがあれば、現実はうまくいかなくなる。
迷う事無く、無邪気に恐れ無く、愛や喜び、思いやりや感謝、平和の世界に生きよう。
笑いの神さまは、「笑いの日」に、そんなことを教えてくれた♪
朝5時半 笑
少し眠たいが、ウォーキングに出かけよう♪