月曜日は、部長の独断上、言いたい放題のweb会議に始まり、チーム会議でも、あれこれと無理難題が降りて来て、朝から疲弊してしまった。
会社を出てからも、あれこれ考えてしまい、嫌で嫌で仕方が無くなり、直ぐにでも会社を辞めてしまいそうな衝動にかられた。
ただ、直ぐに会社を辞めても、やりたい事がようやく見えて来た自分が、どうやって稼げるのか?と、ネガティブなジレンマに陥ってしまった。
嫌だけどやめられないまま、やりたい事も出来ずに、耐えるしかないのか?と、久しぶりに煮詰まりそうになった。
嫌な冷や汗をかき、いきなり体調を崩しそうなくらい、追い詰まってしまった。
数時間、車を走らせて、エリアに入りながら呼吸を整えていると、徐々に落ち着きを取り戻し、ふと、ある事に気が付いた。
嫌だ嫌だと思う心の向こう側には、恐怖心がある事が分かった。
恐怖心がある自分を受け入れたくなくて、怒りを持って立ち向かおうとしたり、嫌悪感を感じたり、拒絶しようとしていた。
これまで、無理難題を何度もクリアして来て、生き馬の目を抜くようなサラリーマン社会を生き抜いて来たが、その根底には、ずっと恐怖心を抱えていた事がわかった。
恐怖心を克服するために、率先して行動して、朝から晩まで働き続け、成果を出して来た。
成果を出して評価されても、さらに上積みされた目標を掲げられ、それをクリアしないと、評価が下がる恐怖と、延々と戦い続けて来た。
先日、自分が実は、抱きしめられたかったと言う気持ちに気付いたのと同様に、これまで、実は、仕事に恐怖心を抱いていた事が分かった。
恐怖の中になんとか喜びを見出して来たが、恐怖は絶える事無く襲い掛かる事に嫌気が差し、喜びに変える事が出来なくなっている。
それを認めた途端、ふっと心が軽くなった。
更に、自分が恐怖を感じる環境に、これ以上居たくなく、喜びや嬉しさ、感謝に溢れる中に居たいと、素直に望む気持ちが芽生えた。
これまで、恐怖心を受け入れ、屈服するのが嫌で、がむしゃらに働いたり、抗ったりして来たのは、自分のプライドがそうさせていた事が分かった。
何のプライドかと思う 笑
素直に、
「私は怖いのです。だから離れます。」
でいいじゃないと思えた。
自分が、怖いと言う感情を抱いているのを認めたく無くて、がむしゃらに立ち向かったり、抗ったり、無理に喜びに変えたりして来て、逆に、それに捉われていた。
素直に認めてみると、怖い環境で、神経をすり減らして生きて来た事に気付き、自分が望んでいるのはそうした世界では無く、喜びや嬉しさ、感謝や思いやりの気持ちが溢れる世界であり、早くそうした世界に行きたいと、心の底から思えた。
今の仕事は嫌いではない。
自分が会社の製品をPRして、顧客がより良い状況になり、感謝し、感謝され、売り上げが上がる。
自身のエンパスの特性を活かして、顧客の意図を読み取り、問題解決に導く。
それは、自身にとって喜びであるのだが、いつもそれ以上、必要以上に数字を求められ、それに応えて来て、その部分に恐怖心を感じ続けていた。
その余剰の数字を上げるために、上司は、精神論を振りかざし続けているが、一体、誰のためかと思う。
彼ら自身、顧客を喜ばせる事よりも、会社に居られなくなる恐怖感を基にして、働いて来たのだろう。
恐怖感を、数字をあげて克服したとしても、そこにあるのは、真の喜びでは無くて、束の間の安心感でしか無い。
本来、仕事や労働とは、人の役に立つ喜びを感じて、報酬を得るものである。
恐怖心を抱えた人達は、それどころでは無く、恐怖から逃れる事が第一義となっていて、それを伝播させていく。
その恐怖心の根源にあるものは、自己の保身や自己の評価を上げる事であり、そんなものの為に、周りにも恐怖心を植え付け、煽り、扇動しようとする。
喜びのために自発的に働くのと違い、恐怖心によって働くのは強制労働である。
それを望んでいる人はやり続ければいいが、強制労働下で、何人もの若手が辞めていった。
これは以前から思っている事だが、年長者は仕事の楽しみや喜びを、若い人に伝えていかないといけない。
詰めて、追い込んで、恐怖心を与える方法は、長くは続かない。
かと言って、本人が仕事に、まともに喜びを感じていないと、そうした事を教える事も出来ないのだろう。
そうした目で周りを見ると、恐怖心に追い詰められている人、恐怖から洗脳されている人、恐怖に屈服してしまってる人、恐怖心から周りを煽ってばかりいる人と、多くの人が、恐怖心を持って仕事に取り組んで居て、楽しんで仕事をしている人が殆どいない。
まるで苦しむ事が美徳のように、恐怖心に耐え、精神論をかざし、サラリーをもらい、酒やギャンブル、俗でそのストレスを流す。
仕事を楽しむ事も出来なければ、余裕も無い。
そこに愛は無く、恐怖心が支配している。
目の前の課題を楽しみに変えるのは、能力が無いと不可能なんだと思う。
恐怖心を抱え、恐怖心を与える中に、愛が存在する事は無く、皆が疲弊していくばかりであり、それは酷くつまらないように思う。
楽しむ能力が無く、つまらない世界にしようとしている一部の人の為に、多くの人が巻き込まれ、愛を見失い、疲弊していく。
恐怖心を克服して、心に愛を持ち、なんとか前向きに生きようとしている人達にとっては、ただの迷惑でしか無い。
それらの解釈を進め、水曜日あたりになると、再び整い始めた。
能力が無い人達の恐怖心に、巻き込まれようとしていた。
瘴気に当てられ、こちらまで恐怖を覚えたが、再び、
「大丈夫♪大丈夫♪」
と自分を取り戻した。
これまでも、恐怖心に塗れた人達の中に居て、ずっと、
「大丈夫♪大丈夫♪」
と、伝播する恐怖心を、克服して来た事に気が付いた。
恐怖に怯える周りの人に対して、大丈夫♪大丈夫♪と励まし、恐怖を巻き起こしている上司にまで、大丈夫ですよ♪とエネルギーを与えて来たが、もういいのだろう。
彼等が恐怖の世界に生きようとしている限り、恐怖心は無くならないのだろう。
メンヘラな女性と付き合うと、いくら愛を注いでも、本当に安心してくれないように、彼等をいくら励ましても、彼等の恐怖心が無くなる事は無く、それは彼等の問題である。
付き合い続ける限り、エネルギーは搾取され、やがては、こちらまで大丈夫で無くなってしまう。
様々な事を恐怖に思い出すと、恐怖に支配されてしまう。
例えば、地震や台風などの自然災害、がんなどの病気、信頼している人からの裏切り、部下が反旗を翻す、愛している人が離れていく、今あるものが失われる、欲しいものが手に入らないなど、様々な事を恐怖に思うと、それらに執着してしまい、人生や仕事を楽しめなくなる。
どんな状況でも自分は生き延び、例え何が起きようとも大丈夫だと思っていれば、恐怖を感じなくなる。
人から裏切られたり、離れていく事を恐れ、疑うのでは無く、人を腹の底から信用して、心から愛せばいい。
自然災害も人の心も、自分にはコントロール出来ないのに、それらをなんとかしようと思うから、エゴが生じ、恐怖を生みだす。
自分は大丈夫♪と思いながら過ごすと、恐怖は感じなくなる。
人はいつ死ぬか分からないし、死ぬ時は一人だと覚悟していればいい。
一人恐怖に怯えるのは構わないが、その恐怖から周りを巻き込むのは、ホントに勘弁願いたく、それが年長者であれば尚更であり、付き合いきれない。
仕事は喜びであるのに、恐怖心から働くのはつまらなく、同じように、生きる事も喜びであるのに、恐怖に支配され生きるのは、ひどくもったいない。
恐怖心からは負のエネルギーしか生み出されず、ネガティヴな世界を作り出す。
喜びは正のエネルギーとなり、ポジティブな世界を作り出す。
同じ環境に居ても、恐れるのか、喜ぶのか、恐れたいのか、喜びたいのかによって、世界が変わって来る。
恐れながら頑張るよりも、喜びながら頑張るほうが健全であり、より長きに渡り、利益を出せると思うがどうだろうか?
恐れに生きるよりも、自分を信じて、喜びに生きる方が、日々を健全に生きられ、より有益な人生を生きられると思うが、どうだろうか?
つまるところ、保身や利益主義など、エゴにはしると、常に恐怖を感じ、人生を楽しめないばかりか、長い目で見ると、必ず損をすると言う事なんだろう。
ここ最近、人生の大きな決断を前にして、恐れや不安、迷いや葛藤があり、
「大丈夫♪大丈夫♪」
と思考をやめ、それらを捨て去ろうとして来て、なかなか全てを捨てる事は難しいが、既にこれまで、仕事を通して、それらを喜びに変えて来て事に気が付いた。
そう言えば、嫌な事や嫌な人、辛い事も、全て笑いに変えて来た。
自分には、ネガティブをポジティブに変える力があるのかも知れない。
更にその力が、様々な経験を通して強くなり、最近では、周りのネガティブをも、ポジティブに変えられるようになった気がする。
その力を何処で使うのか?と考えると、恐怖心に捉われずに、なんとか前向きに生きようとしている人の為に使いたく、決して、自らの保身や利益ばかりを考え、恐怖心を撒き散らしているオッさんの為には使いたくない 笑
以前は、恐怖心や猜疑心等、ネガティブが強い人が寄って来る事が多かったが、最近は、避けるようになった。
気分が下がるから、そうしているつもりだったが、エネルギーを吸い取られていたのだろう。
自身が生き延びる為に、人からエネルギーを吸い取ると考えると、実に悍ましい。
そうした人を避けるようになると、周りにポジティブな人が増え始めた。
同じ会社、更に上司となれば、避け続ける事は出来ないが、相手にしなければいいのだろう 笑
10月末までは、仕事でバタバタとするが、気が付けば、もう年末が近付いて来た 笑
今年はホンマにあっという間だ 笑
前半は、色んな事があり過ぎて、考える間も無く過ごし、後半は、日々に感動して過ごしている。
オッさんの身勝手な恐怖等、相手にしている場合ではない 笑笑
サラリーマン社会の何が嫌かが分かると、素直に、喜びや感謝が溢れる世界に生きようと思った。
今年もあと2か月。
必ず良い年末を迎えよう♪