金曜日から腸炎になった。






過労やストレス、過食などが重なると、腸炎を引き起こす。





慢性的になっていて、最初は1w程度、入院したけれど、それ以降は、日常の中で対処しながら、回復出来るようになった。





土日は、筋トレやウォーキングを控え、微熱が続き、身体を休ませる中、久しぶりにネガティブを辿った。





ここ最近、思考をやめて、自分を信じて、自分を愛する事だけを意識して、調子良く過ごしていたのだが、体調を壊すと、途端にネガティヴになった。


 



サラリーマンをやめて、やりたい事をやり、世の、人の役に立ちながら、お金を稼ぎ、良き人達と繋がる為には、次のステージに進まなければならない。





執着をやめ、エゴを捨てる事を意識し、最近は、onenessの意識に目覚めながらも、何一つ、確定付けるものが無い中、自分の進む道を信じてやって来たが、ネガティヴになると途端に、自信を無くしてしまう。





月曜日はそんな気分のまま、まだ痛む腹を抱え、会議に出たのだが、全ての事がどうでもいいように思えて来る。





精神論ばかりで、自社の利益ばかりを追求するような話を聞いていて、うんざりするのを通り越して、もうどうでもいいと思った。






会議終わりに体調が悪いまま、3階の外階段から空を眺めていたら、横長の積乱雲が青空の下に、山沿いに発達していて、それが、ハリボテの何かのセットのように見えた。






それを見ていて、なんとなく不思議な感じを覚えた。





いつか悪夢の中で、それが夢だと気付いた時に見た風景のように思えた。






仕事のトラブルの夢で、悪夢の中を彷徨っている時に、それが夢だと気付いて、悪夢から抜け出そうとして、目の前の川に、スーツのままタイブした。





ドブンッと、川の中に深く沈んでいくのが、あまりにもリアルで、ヤバっと思ったら、幸い目が覚めた。





「この3階から、身を投げれば、このハリボテのような世界を抜け出せるのかも知れない。」






そんな事が頭をよぎり、少し寒気を感じた。





月曜日は、ホテルで早めに休み、火曜日も体調を整えながら過ごした。





仕事は手につかないが、それどころでは無い。





自身が、昔、想像した事のある、現実と夢の境目が分からなくなるような状態にあり、それは、危ない状態だと思った。





腹の痛みに気力が上がらない中、気をしっかりと持ちながら過ごし、少しずつ体調が改善するに伴い、ネガティヴさが無くなっていき、ある気付きが訪れた。





夢であろうと、現実であろうと、それをぶち壊して、違うステージや違う世界に行こうとした時、ハリボテをぶち破り、えいや!と飛び出さないと、何も変わらないのだろうと思った。





ハリボテのような世界の中に、自分を閉じ込めているのは、おそらく自分自身の意識であり、閉じ込めている限り、現実は変わらない。





夢の中では、えいや!と川に飛び込んだが、現実を変える為には、実は意識を変えるだけでいいのかもしれない。





自分が変えられないと思っている限り、ずっとハリボテの中で居続ける事になり、変えられると思えば、ハリボテは勝手に崩れていく。






「目の前の現実を変える為には、なになにが足りないし、今の収入が無くなればいきなり困るなぁ。子供達への養育費もあるしなぁ。。やりたい事もまだわかってないのに。やっぱ無理かも。」






では無く、






「自分はこう在りたい。必ずこうなる。今の現実はその為に必ず変わるから、心配しなくていい。子供達との事も、会い続けたいと思っていれば叶う。全ての心配を捨てて、やりたい事をやればいい。それとも、目の前の現実に縛られて、やりたく無い事をやり続けるの? 全部決めるのは自分なんだよ。これまでも、嫌な事もあったけど、全て自分で決めて変えて来てるやん。いつから現実に縛られるようになったの? 何にも縛られていなかった、子供の頃、小学生低学年の頃を思い出してごらん。自由な発想で、やりたい事がたくさんあったはずだよ。ハリボテなんかも無かったはずだよ。それを作り出してるのは、自分の意識だよ。さぁ、何も考えずに、自分の生きたいように生きればいいよ。」






と気付くと、気分が変わった。





夕方、早めに家に戻り、久しぶりに長めのウォーキングに出掛けた。





歩きながら、これまでの人生を振り返ってみた。






色々と苦しい事や悲しい事、悔しい事があったり、どうしたらいいのかわからないような場面もあったが、なんとか乗り越えて来て、今があると思うと、なんだか急に、自分の事が愛おしく思え、更に、人道を踏み外さず、人にあたる事も無く、多少のやけは起こした事はあったが、ここまでやってこれた事に自信を持ち、誇らしく思った。






これまで、いろんなフェーズがあり、若い頃、弱気で、何も言いたい事が言えなかった頃の自分から、大人になり社会に出る中、人と本音でぶつかるようになり、頭をぶつけながら、周りに迷惑を掛けながらも、何とか社会でやっていけるようになり、会社生活で多くの事を学んで来た。






ギャンブルをやめてからは、初めて自分と向き合うようになり、様々な気付きを得て来た。






それぞれのフェーズが変わる時、変わる前の時期と言うのは、散々悩み、苦しんでいた事を思い出した。





フェーズが変わっても、まだ同じ環境に身を置いている事に対する違和感や、嫌悪感が、日に日に強くなる。





ここ数ヶ月、調子良くやって来たのに、体調を崩した途端、ネガティブになったのは、前のフェーズに一時的に戻ったからであり、実はすでに、意識は新しいフェーズに入っていた事に気が付いた。





そんな気付きがあり、これまで、目の前の現実と、先を行く意識とのギャップに苦しんで来たが、目の前の現実の全てが大した意味を持たなくなり、気にならなくなった。






そうした意識が、積乱雲をハリボテのように見させたのだろう。





自決する人の心理を、これまでは理解出来ずに居たが、もしかしたら、いつまでも苦しさを感じながら、ハリボテの世界に居続けるしかないと、いつか、悪夢との境目が分からなくなってしまうのかも知れない。






自決にまでは至らなくても、死んだような目をしている人達も、ハリボテの中から出れずに、苦しんでいるのかも知れない。






若い頃は、環境を変えるのに、何の怖さも無く、リスクも考えずに、ハリボテをぶち破っていたのが、歳を取ると、恐怖で、えいや!と飛び出せなくなってしまう。






若い頃は、無鉄砲さから飛び出していたが、歳を取って飛び出すには、こびりついた常識やネガティブ意識を捨て去る事も必要だが、何よりも大事なのは、何が有っても、自分を信じる気持ちだろう。





数日間、腸炎に伴って、ネガティブを辿っていたが、体調の回復に伴い、自信を取り戻した。






現実の景色が、ハリボテに見えた 笑






まさに、「キネマの天地」だ 笑






ハリボテの世界で、苦しみ、嘆き、取り返しがつかないと思っても、「カーット!」になれば、ハリボテの世界から出る事が出来る。






自分が監督であり主人公であるならば、自分が作ったハリボテの世界をぶち破る脚本を描くのも、自分自身である。






自分が作ったハリボテの映画の世界だと思うと、苦しんだり、悩んだりする必要は無くて、ぶち破るまでもなく、ただ単に、セットを変えればいいだけなんだろう。






節目の日まで、後14日。






いよいよカオスになって来たが 笑、臆せず、その日を迎えよう。