休み明け、なかなかしんどい一週間だった 笑





火曜日、エリアから戻り、22時30分には食事を終え、早めに休もうと思っていたら、リーダーからメールが入った。





明日からのリーダー会議で、リーダー陣が集まって飲んでいたらしく、アメリカ帰りの本社の人も

参加しているから、来ないかと言う。





「こんな時間に何を考えてるんやろか?」





若手社員には、普段からこんな誘いがあるらしく、シラフの時はいい人なのだが、酒に酔うと、まともな判断が出来なくなる。





「行かないよー」





と、さっさと寝ようとしたのだが 笑、アメリカ帰りの本社の人が、以前、一緒に働いた事がある人であり、思い直し、彼に会う為に、着替えて、店に向かう事にした。





23時頃、店に着き、1時間半くらい、時間を共にして、15年ぶりの再会の時間を楽しんだ。

 




普段なら、こうしたお誘いがあっても、絶対に行かないので、リーダーは驚いていた 笑





後から飲み代の請求が有り、少しイラッとしたが 笑、強制で無く、自分の意思で行ったので、気持ちよく払う事にした。





そんな事より、またも15年ぶりの再会があり、やはり、縁の導きを感じる。





夜中に、歩いて家に辿り着き、次の日から、エリアを行ったり来たりして、なかなかしんどい一週間だった 笑

 



   

最近、何かある度に、





「やりたい?やりたくない?」





と、自分に聞いてみるようにしている。





そんな風にしていると、これまでは、





やらなければならない、やるべきだろうと、顕在意識が決めたルールに従っていた事に気が付いた。





顕在意識は、他にも、正しくあるべきだろう、真面目でなければならない、人には優しくしなければならないだろうなど、様々なルールを押し付けて来る 笑





そうした時に、本当の自分の意思を、潜在意識に問うてみると、





「いやいや、もうやらなくてもいいよ。」





とか、





「とりあえず、やっつけでやっておけば?」





と返してくれる。





そうすると、それは自分の意思となる。





顕在意識の意思と言うのも、自分ではあるが、例えば、仕事が出来る人ぶったり、真面目ぶったり、時に正義感ぶろうとしている、仮面を被った自分の意思である事に気付く。





社会人としては、会社人としては、チーム員としては、大人としては、はたまた、男としては、父親としては等、様々な肩書きを演じているが、それらは、本当の自分の意思では無くて、時に、それはストレスになり、本来の自分の意思をないがしろにしていたのだろう。





また、そうした顕在意識の、〜ぶった言動と言うのは、自分が優しく見られたい、自分が正しく思われたいと言う、見返りを求めた行動であった事に気が付いた。





数年前、まだ離婚して間もない頃に、会社の人間関係でうまくいかない事があり、そうした事について考えた事があった。





「とりあえず、べきべきと考えるのを、意識してやめてみよう。」





と、取り組んで来て、それなりに変化は有ったものの、本質は分かっていなかったが、ようやく、今回の気付きがあり、腑に落ちた。





顕在意識は、〜ぶる以外にも、欲によっても、自分の本来の意思に反した言動をさせようとする。





ギャンブルを全くやめるつもりが無かった時期には、迷う事なく、パチンコ屋に向かっていた。





やがて、本気で自分がやめたいと思うようになると、顕在意識の欲と理性に、矛盾を生じるようになった。





当時は、理性でやめたいと、いくら思っても、欲望に打ち勝つ事が出来ずにいた。



 



やめ続ける日々を送っている中でも、度々、顕在意識の欲は、パチンコによる刺激を欲しがるが、そんな時には、





「本当にやりたいの?本当に以前の生活に戻りたいの?」





と潜在意識に聞いてみると、すぐに顕在意識は諦めてくれるようになった。






数年前から、こんな自分でありたい、こんな生活を送りたい、はたまた、こんな事はしたくないと、ノートに書く事をしていたが、知らぬ間に、それらが自分の潜在意識を書き替えていた事に気が付いた。





ギャンブル以外にも、時に、顕在意識の欲は、とんでもなく邪淫な事を妄想させるが 笑、それも潜在意識に問うてみると、諦めてくれるようになった。





これまで、何故、自分自身の事なのに、例えば、ギャンブルやアルコールなどに溺れてしまい、人生をダメにしてしまうのか?と考えた事があったが、顕在意識の欲は、一度覚えた快楽を、もっともっとと欲しがり続けるだけであり、理性でいくらダメだと思っても、歯止めが効かないものなんだろう。





以前は、欲を理性で抑え込むと考えていたが、理性も顕在意識であり、それだけで、欲望の衝動を止めるのは、限界があり、難しい。






ノートやブログに、






「こうありたい、こういう人になりたい。」






と書き出していると、潜在意識の中に、顕在意識とは別人格とも言える、自分が存在するようになった。





顕在意識では怒っていても、潜在意識が、



 



「別に相手しなくていいよ。」






となれば、怒りは治り、怒り散らすような事は無くなる。





理性でいくら、抑え込もうと考えても、怒りはなかなか治らないが、抑え込むのでは無くて、相手にしないでいい?と自分に聞いてみると、それは、自分の判断になる。






性的な衝動も同様であり、理性だけでは抑えが効かず 笑、潜在意識の中に、邪婬な事、性欲ごときに振り回されない自分がいれば、すぐに衝動は治る。





そうした事を実感しながら過ごしていると、これまでは、顕在意識の自分しか認識していなかったのが、それよりも遙かに大きな、潜在意識の存在を常に認識出来るようになった。






何年か前に、半信半疑でノートに書き出し、やって来た事が、知らぬ間に身についていて、嬉しくなる♪





以前は、顕在意識の衝動に、ただただ素直に、走り回っていた 笑





潜在意識に書き込みをし始めてからも、しばらくは、顕在意識の方が優勢であった。


 




今は、その関係性が逆転した。



 



最近、あまりストレスを感じなくなり、それに伴い、以前は定期的に変態的妄想を抱いていたのに 笑、それが無くなった。





以前は、十善戒の縛りを設けて、理性=顕在意識で、〜してはならない、〜あるべきだと抑え込んでいたのだが、縛りを解いても、再び欲に振り回されないばかりか、妄想自体を抱かなくなった。






ようやく、潜在意識に〜ありたい自分が刷り込まれ、理性で抑え込まなくてもよくなったのだろう。




顕在意識、潜在意識、共に、自分自身であるとは思うが、有意識、無意識の違いがあり、頭でいくら考えても、それは有意識の小さな力しか持たず、無意識の力には敵わないのだろう。






以前から、本当にやりたい事はなんだろうか?と考えて来たが、いくら頭を悩ませてもわからなかった。





自分には、欲を追いかける以外に、やりたい事はないのだろうか?と、悩んだ事もある 笑






知らぬ間に、潜在意識の書き替えが出来ていた事に気付き、様々な変化を実感するようになると、長年探していたものが見つかりそうな予感が、確信に変わった。





知らぬ間に、長年の課題を克服していた事に気が付いた。


 



何より、顕在意識で、こうあるべき、こうするべきと言動していた頃と比べて、自然と言葉が出て来て、自然体で居られるのを嬉しく感じる。






離婚後、まだまだ人間関係に悩んでいた頃、顕在意識が優位であり、人には優しくするべき、仕事は頑張るべき、感謝すべき、正しくあるべきと考えて、言動していたが、それは、本来の自分のそれでは無く、知らず知らず、見返りを求めていて、うまく伝わっていなかったのだろう。






それにしても、久しぶりの再会が続いていて、縁の導きを実感している。



 



最近、しばらく忘れていたのに、何故か頻繁に思い出す人がいて、不思議に思っていたのだが、彼女とも、再び繋がろうとしているのだろう。



 



大きな変化が訪れようとしているのを、肌で感じる。





日々の気付きに感謝したい。