まるで春が来たかのように、まばゆい日差しが降り注いでいる。




まだ気温は上がらないが、あと一カ月もすれば、

暖かくなってくるだろう。





日曜日、ウォーキングをしていて、たまたま、ヤギコーチと言う方の動画を見聞きした。





自己肯定感を持つ為に自己否定感をどう手放していくか、という内容であり、自分が、コロナ禍以降、孤独と向き合う中、自身の過去にアプローチしたり、怒りや悲しみの感情と向き合ってみたり、そうして来た事が、否定感を解放し肯定感を持つ為のステップだった事を知った。





その動画の終わりのほうに、幼い頃の自分の感情にアプローチをして、心の中で抱きしめ、





「辛かったね。しんどかったね。もう大丈夫だよ。」




と言ってあげてください、というくだりを聞いて、昨年、全く同じ事をやっていた事を思い出した。




更に、自己否定感を持って来た事について、自分に対して悪かったと認め、





「本当にごめんなさい。自分を否定して来た事を許してください。苦しくてもここまで頑張って来てくれて、ありがとう。自分を愛しています。」





そう、自分に語りかけてくださいと言うので、早速やってみた。





すると、長年苦しんで来た、何かがボロっ取れたような感覚があり、とても心が喜び、軽くなるのが分かった。





子供の頃、自分が育った環境や周りの人に、影響を受けたとは思うが、自身も、そうした事を跳ね返す事が出来ず、鬱屈した青年期を過ごした。





今日は、揉み返しのように、子供の頃の事を思い出したが、ふと、自分が嫌われているかもしれないと、常に気にしていた事を思い出した。





卑しく思われたくないと、自分の意思を出さず、嫌われたくないと、いつも周りに気を遣っていた。




その原因を考えるうちに、幼稚園の頃、初めて出来た友達、しんちゃんの事を思い出した。





しんちゃんとは、小学生低学年の頃まで、いつも一緒に遊んでいたのだが、自分が、勉強をするようになってから、あまり遊ばなくなり、しんちゃんは他の友達と仲良くなって、当時、少し意地悪をされた。





その事を、とても悲しく思っていた事を思い出した。




そのあたりから、人に嫌われないように、気を遣うようになって行った。





意思表示をせずに、嫌われたくないと気を遣ってばかり居て、全く主体性を無くしてしまっていた。




勉強を続け、私立の進学校に行き、そこで、裕福な家庭で育った、奔放な同級生にいじめを受けるようになり、劣等感を持ち、自己否定感を持つようになった。





こうして書き出していても、胸が苦しくなる。





親にも教師にも相談出来ず、自分で跳ね返すような力も無く、ただただ鬱屈していた。





予備校を経て大学に行く中、新しい友達は出来たが、彼らにもその事を話せず、社会に出て、彼女が出来ても、全てを話せなかった。





表向きは、面白く明るい自分を演じながら、過去の傷を抱えたままであり、新しく出来た友人達に、いじめられていた事がバレる事を恐れつつ、いつか彼等も、自分の事を嫌いになると言う懸念が無くならずに居た。





自己を顕示し、自己を肯定したいと言う思いと裏腹に、蓋をしたままの心の中では、自分を否定し続けていた。


 



自分で自分に嘘をつき、周りにも嘘をついているような感覚が有り、そんな自分を好きになれなかった。




気が付いてなかったが、自分を嫌っていて、嫌々、生きていたのかもしれない。





常に、ストレスを感じては、ネガティブな感情を抱えていた。





そうした状況を嫌い、一人になれるギャンブルにどっぷりのめり込んでいった。





逃げだったとは思うが、当時の自分は、それが有ったから生き延びる事が出来たように思う。





ギャンブルにのめり込んで無ければ、思い詰めてしまい、自傷や自死など、様々な弊害が有ったように思う。





彼女が出来ても、新しい友人が出来ても、自分を嫌い続けていて、彼等の事を心から愛する事が出来なかった。





何をやっても上手くいかず、全ては中途半端であり、ただギャンブルにのめり込んでいる自分を、ずっと欠陥人間だと思っていた。





ようやく40歳になる頃、自分の中で、何かが変わり始めた。




仕事を頑張るようになり、周りの人に認められるようになった事が、きっかけだったのかもしれない。




周りの先輩に評価され、認められる中、まだまだ自己評価は低いままであり、それを何とかしたかったのかもしれない。





書き出していて、この辺りになると、少し気分の重さが軽くなってくる。





この頃、バーに通ったり、色んな人と積極的に付き合い始めている。





会社の人間関係も、楽しめるようになっている。





それでもまだまだ、自己否定感を抱えていた。





仕事や人間関係は良くなっていったが、生活は、まだまだギャンブルや欲に振り回され続けていて、苦しいままだった。





この頃、自分が重度のギャンブル依存症である事に気付き、掲示板に参加するようになった。





そこから、10年が経とうとしている。





子供の頃から抱えて来た、自己否定感や劣等感、により、長年に渡り、自分を嫌って来た。





この10年、知らず知らず、少しずつ自己肯定感を得ながら、自己否定感を無くして来て、ようやく、自己愛を持てるようになった。





これまで、周りの環境や人に影響を受けて来たとばかり思って来たが、自分が自分を嫌い、否定し続けて来たとは、まさに、目から鱗であった。





こうして書いていると、本当によく生きて来れたと思う。





自分に、自分を嫌い、否定して来た事を誤り、それでも生きて来た事に感謝し、愛しているよと伝えると、正直なところ、





「もう、時間がかかり過ぎだよ。おそいよ。」





と、少し拗ねるような心の声が聞こえた。





自分に、





「絶対幸せにするから!大丈夫やから!!」





と伝えると、幼い頃の自分が、初めて安心するように笑った。





思えば、数年前、最初に潜在意識の中の彼にアプローチした際、彼は後ろを向いて、うなだれたまま、こちらを向こうとしなかった。





昨年、再び、ウォーキング中に彼が現れた時には、こちらを向いて泣いていて、意識の中で、彼を強く抱きしめた。





今回、





「絶対幸せにするから!大丈夫やから!!」





と伝えると、屈託なく笑ってくれた彼を意識の中に見て、ようやく、長い闘いが終わろうとしている事を知り、安堵した。





今日は揉み返しに会った 笑





そして、ようやく、人生の区切りを迎えようとしている事に気付いた。





一年前のブログに、ウォーキング中に、これまでお会いして来た様々な人達が現れ、何かを祝福してくれるような場面が見えたが、それは、今回の区切りを予見していたように思う。





思えば、これまで自分を嫌な目に合わせた人達は、自分の心の蓋を、外そうとしてくれていたのかもしれない。





ジャニス・ジョップリンとの出会いだって、必然だったように思える。





いつの間にか聞くようになり、音楽性を好きになり、彼女の生い立ちを知るうちに、自分の人生を重ね合わせるようになった。





彼女はドラッグに逃げ、26歳にして、非業の死を遂げたが、自分は51歳まて生き延びて、ようやく、自己愛を持とうとしている。





彼女は、自分が生まれた丁度一年前に亡くなっていて、自分は知らないまま、36歳の時に、彼女の生まれたサンフランシスコのマリン郡を旅している。





離婚後、圧倒的な孤独感の中、自己愛の気付きを与えてくれたのは、彼女の、'Tell Mama'だった。





若い頃、苦しい時期に、彼女の'Try'を聞いて、何度も勇気づけられた。





学生時代に、気に入って着ていたTシャツが、'CHEAP THRILLS'のジャケットの柄だったと知ったのは、随分後の事だった 笑笑





もうここまで来たら、何かの縁を感じざるを得ない 笑




彼女を含めて、これまでお会いした全ての人に、感謝をして、いざ次のステージへ。





人生の第二幕を存分に楽しもう♪