「境界型パーソナリティ症」





自己愛や自己否定についての、YOU TUBE動画を見ていて、なんとなく行き当たった。





自傷行為、自死行動以外は、全て当てはまっていた。




いつも不安感を抱えていて、人から嫌われない為の言動をする。





感情調節が難しく、怒りを抑えられず、空虚さをかんじている。





自己と他人の境が曖昧であり、人を極端に理想化する時も有れば、時に極端にこき下ろしたりもする。




ギャンブルやアルコールなどの衝動に弱く、特定の人にも依存しやすい。





自傷、自死行動を7割の人が取り、鬱や様々な精神疾患を合併する。





一部を除いては、ほぼ当てはまっている。





以前から、なんらかの精神疾患に当てはまるのでは?と思っていたが、ここまで当てはまれば、おそらくそうなんだろう。





遺伝的な要因もあるらしいが、子供の頃に育った環境が主に関係しているらしい。





幼い頃、目の前のお菓子をめちゃくちゃ食べたいのに、それを欲しいと言えなかった理由がわかった。




人に卑しいと思われて、嫌われたくなかった。





人に嫌われたくない、人に見捨てられたくない。





その為に、いつも人に愛想ばかり振りまいていた。




嫌な事も嫌と言えず、欲しいものも欲しいと言えず、不満を抱えながらも、表面上は愛想を絶やさず、礼儀正しく振る舞う。





小学生の頃、そんな風に考え、行動していた事を、はっきりと思い出した。





嫌われたく無い為に、自分の意思よりも、他人を優先するようになり、いつしか、自分の意思を表すどころか、自分の意思を持つ事すら、自分に許さなくなった。





その頃から青年期に至るまで、その時々の状況は思い出せるのだが、悲しみの感情以外、自分の感情を思い出す事が出来ない。





おそらく、意思と共に、感情も抑え込んでばかりいた。




そうした傾向は、中高を経て、大学を卒業するまで有った。





親元を離れ、社会人になってからは、それまで抑え込んでいた意思や感情を、露骨に出すようになり、上下関係無く、ぶつかるようになった。





本音を抑えられず、思った事をそのまま口にしては、色んな人に怒られた 笑





意思や感情を出せるようになったのは、良い変化だったとは思うが、あまり慣れておらず、出し方が分からなかったのだろう 笑





転職をして、今の業界に入った、28歳の辺りから、うまく自分を出せるようになった。





その頃から、周りに愛想をしながらも、それに付け入ったり、利用しようとする人には、本音で対処出来るようになった。





思えばその頃から、仕事を頑張り始め、周りの人に評価されるようになり、ようやく少しは、自信が持てるようになった。





ただ、その頃は、ギャンブル依存症の真っ盛りの時期であり、周りからは評価されながらも、自分はギャンブルにどっぷりと依存し、欲に塗れていて、そうした自分を肯定出来ず、好きになれずにいた。




給料も上がり、ようやくまともな生活を送れるようになったのに、いつもお金に困っていた。





早期退職のお金をもらい、会社を変わり、2度目の結婚をしたのは、36歳の頃だった。





ようやくまともな生活を送れると思ったのも束の間、再び、ギャンブルにどっぷりとハマるようになった。





その時に、ギャンブルをやめれていればと思う事はあるが、元嫁さんとの性格の不一致が、自分にはストレスになっていて、いずれ、家庭は破綻していたように思う。





何故、境界性パーソナリティ症は依存するのか、何故、自分はギャンブルをやめられなかったと考えると、嫌われたく無い、見捨てられたく無いと、言いたい事も言わず、我慢ばかりをしていて、溜まるストレスは多大なものであり、ひたすら、それを流し続けていたように思う。





40を過ぎてから、ギャンブルをやめるようになると、ストレスを流せなくなり、元嫁さんからの暴言や暴力に耐えられなくなり、ぶつかるようになった。





子供の頃、我慢ばかりしていて、ストレスは溜まるばかりであり、その時期は流す術も無く、大変辛かったが、大人になってからも、サラリーマン社会に属しているストレスは多大であり、そこに結婚生活のストレスが加わった時期は、ストレスが半端なくて、暴飲暴食をしたり、ギャンブルをする事で、そのストレスを吐き出し続けていた。





一度目の離婚から、二度目の結婚の間は、家庭を失くし、子供と離れた寂しさが、常にストレスになっていて、どっぷりとギャンブルや欲に塗れ続けていた。





若い頃は、自身のストレス耐性が異常に弱く、脆弱であり、まだまだ我慢してしまうところがあり、周りの人や環境のせいにばかりするつもりは無いが、色んな事が相まって、常にストレスフルな状態に有ったのだろう。





ギャンブルをやめ始め、二度目の離婚をしてからも、仕事や自身の置かれた状況にストレスを感じていて、怒りの感情を抑えられず、周りとぶつかる事も多かった。





ようやく10年が経つ中、様々な気付きを得て、孤独や目の前の仕事や周りの人を認め、それらが自身の選択である事を受け入れると、あまりストレスを感じなくなった。





40歳半ば頃までは、周りの人から嫌われたく無いと言う気持ちがまだ有り、それが行き過ぎ、八方美人的に振る舞う事によって、周りの全ての人から好かれたいという気持ちになっていた 笑





いつしか、ブログに書いたように、自分軸を持つようになると、主体的に、思うままに言動するようになり、人の目を気にしないようになった。





これも数年前のブログに書いているが、数年前に、自身のアイデンティティを取り戻し、ようやく、自己愛を持てるようになった。





自身が、パーソナリティ症=人格障害だった事を認めるには、少々勇気が必要だったが、そう認めると、これまで自身の性格と思い込んで来た事が、実は精神疾患を抱えていた事を理解し、それを、長い時間を掛けて克服して来た事に気が付いた。




多大なるストレス環境に居ても、自傷行為や自死行動に出なかったのは、ギャンブルや俗に、ストレスを吐き出し続けていたからかも知れない。





数千万円もの膨大な金額を掛けて、生き延びる為に、ストレスを流し続けていた。





考えてみれば、これまでの人生は、自己否定感、自己嫌悪感を抱きながら、周りの環境だけで無く、生きる事自体にストレスを感じていたのかも知れない。





ギャンブルをやめ始めた際は、ストレスを流す方法を無くす事で、一体自分がどうなるのか?という不安が有ったが、長い時間を掛けて、ようやくストレスを溜めずに過ごせるようになった。





ここ数年、色んな事から解放されて来て、日々を機嫌良く過ごせるようになったが、ようやく、生きる事を楽しめるようになったのかも知れない。





生きる事をストレスに感じ、否定的に捉えていれば、やりたい事も分からないはずで、ただ、生き延びるのが精一杯だったのだろう。





ようやく、50歳を過ぎて、生きる楽しみを知ろうとしているのかも知れない。





そうした事も、実は、随分と前から知っていたような、不思議な感覚がある。   





こうした事を何度も経験して来て、ようやく、それを乗り越えられた、不思議な感覚がある。





子供の頃、自身をそうした状況に追い詰めていたのは、口憚らずに言うと、母親の存在であった。





「〇〇ちゃんだけは、いつもいい子でいてよ。」





親父を嫌っていて、毎日、枕元で親父の悪口を吐き続け、息子である自分に、彼女は依存していた。




あれをしてはダメ、これをしてはダメと、言動制限をされ、勉強をして良い点数を取った時だけ、褒められた。





小学生高学年は、友達と遊ぶ事も制限され、運動もせずに、ずっと勉強ばかりしていた。





大学生になってからも、まだまだ、自分が誰と付き合っているかに過剰に干渉していた。 





オカシイと思い始めたのは、自分の行動を、連れに電話をしてまで、確認していた事を知ったときだった。





彼女が自分を愛してくれていて、それが行き過ぎていた事は理解出来るので、今更、年老いた母親を責めるつもりは無いが、それによって、被害を受けて来た事を認めると、胸のつっかえが取れた気がする。





彼女の元を離れてから、それまで抑え込んでいた、意思や感情を、ようやく出せるようになった。





息子として溺愛されていたのだろうが、彼女の理想の息子に当てはめられる事が、自分には、相当なストレスであった。


 


 

そうした感覚は、二人の元嫁さん達も同じであり、彼女達も自分を、まるで犬のようにGPSを付けて管理し、ファッションや思考、人付き合いまで変えようとしていた。





そうした事を拒むと、彼女達は怒り、自分から離れて行った。



 


彼女達も、自分と同じように、何らかの精神疾患を抱えていたのかも知れない。





母親、元嫁さん達は、息子、付き合うパートナーを、自分の理想に当てはめ、コントロールしたかったのだろうが、自分は、彼女達から支配される事を嫌った。





今、三人の子がいるが、幼い頃から、彼等の事を尊重して、頭ごなしにモノを言った事は無く、彼等の意思を尊重するようにしている。





そんな事を考えていたら、自分が幼い頃、朝、5時半頃から、雨の日にも、台風の日にも、自転車で職場の工場に向かっていた、親父の背中を思い出した。




酒ばかりのんで、ほとんど口を聞かず、若い頃は、好きでは無かったが、当時の親父の気持ちが、少し分かった気がした。

    




自分の妻に、自分の悪口ばかりを言われながら、おそらく多大なストレスを抱えていた。





不器用で、酒ばかり飲んでいたが、その状況に耐えながら自分を育ててくれた事に、改めて愛情を感じる。

 



母親も、やり方は間違っていたが、それは、愛情が行き過ぎた結果であり、今更、彼女を責めるつもりは無い。


 



行き過ぎた愛情が、逆に、息子に生き辛さを与えて来た事は、彼女には言わないでおこう。





自身が長年に渡り、精神疾患を抱えて来て、それを克服して来た事に気が付いた。





母親の愛は過剰では有り、それは弊害をもたらして来たが、その愛に報いる為にも、必ず自分は幸せになろうと思えた。





改めて、精神疾患を抱えつつ、ここまで大幅には道を逸れず、なんとか生きて来た自身を、褒めてやりたくなった。


     



必ず、人生を楽しもうと思った。