年末から様々な気付きに恵まれている。





自己否定をやめると、人を否定しなくなり、自己嫌悪を無くすと、人を嫌わなくなった。





こうした気付きを得ると、実は、数年前にそうした課題を掲げていた事を思い出す。





45歳の頃、べきべきと自分を追い詰めてばかりいて、初めて自身が自己愛に欠けている事に気が付いた。




青年期にいじめを受け、何の努力もしないまま社会に出て、目の前の現実から逃げるようにギャンブルにのめり込んでいた。





40歳の頃、まだまだギャンブルをやめようともしておらず、色んな課題や問題が、うず高く積まれたゴミのように山積していた。





その頃、片付けや整理が出来ず、いつもゴミだらけだった営業車を片付けながら、天を仰いで、





「人生はゴミとパチンコとの戦いである。」





なんて、迷言が生まれた 笑





まだまだ開き直っていたのだが 笑、程なく、自身がギャンブル依存症である事に気付き、ようやく、本気でやめたいと思うようになった。





いざ、やめようと思っても、ついたギャンブル癖は、なかなか治らなかった。





スリップして、負けて後悔しても、また数日経てば行ってしまい、また負けを積み重ねる。





そんな事を、2年間くらい、ダラダラと繰り返していたある日、その日も、負けてはいけないお金を使ってしまい、その帰り道で、ハッキリと「破滅」が目の前に見えた。





それまでは、勝てないパチンコ屋に恨みつらみを抱えていたが、実はそれが間違いであり、それをいつまでもやめられない自分に、コロされると思った。





そこから、脱ギャンブルに本気で取り組むようになり、人生で初めて、自分と本気で向き合うようになった。





仕事も、ようやく本気で取り組むようになり、成果を上げ、会社で評価され始めた。





41歳の頃から離婚した45歳の頃までは、朝早くから仕事に出かけ、帰りはいつも23時頃だった。





会社で評価され、更に仕事に没頭し、成果を上げ続けた。





その頃、完全に仕事1st脳になっていて、仕事の為なら家庭も顧みず、寝る暇も惜しんで働き、自分をべきべきと追い込み続け、周りに対しても、べきべきと追い込んでばかりいた。





いつしか、元嫁さんとの関係性が悪くなっても、まだまだ仕事1stであるべきと思い込んでいた。





離婚する前の2年間は、家に入れてもらえなかったり、日々、罵詈雑言を吐かれ続け、それでも、仕事を頑張っていた。





いよいよ離婚を覚悟し、まだ幼かった子供達との別れを断腸の思いで受け入れ、精神的に追い詰まり、それでも無理をして仕事に向かおうとしていた朝、車を運転している時に、それは訪れた。





「俺やって、一生懸命、頑張ってるやないかー!!」





と、腹の底から唸るように声が出て来て、車の運転が出来なくなるくらい、オンオンと大きな声をあげて泣いてしまった。





それまで、家庭の為にと、元嫁さんの罵詈雑言、暴力にも耐え続け、我慢ばかりを自分に強いて、精神的に追い詰められながらも、仕事を頑張って来たのだが、とうとう、張り詰めた糸が切れたのだろう。





ギャンブルをやめ始めてから、それまでの人生で、なんの努力もせずに生きて来た自分を否定し、嫌い、ベキべキと自分に鞭を打ち続けていた。





その朝、オンオンと泣きながら、初めて、自己愛が欠けていた事に気付き、自分を愛してやりたくなった。





その頃のブログには、






「自己愛を持とうとしても、どう自分を愛したらいいのかが、分からずにいる。これまで、自己愛を持たないまま、人を愛そうとして来たが、うまくいかなかった訳が分かったような気がする。

自分を愛せないと、人を本気で愛する事なんて出来ないのかも知れない。自分を愛せないまま、人を愛そうなんてのは、見返りの愛が欲しかっただけなんだろう。

いつの日か、自己愛を持てるようになった時、初めて本気で人を愛せるようになるのかも知れない。」





なんて書いている。





そこから、様々な気付きを得て、ようやく、自己を否定しなくなり、自己嫌悪感を解放し、自己愛を持とうとしている。





当時は、どうしたらいいのか分からなかった課題を、6年越しに克服しようとしている。





こうした事は初めてでは無くて、「こうなりたい!」と強く願った事は、あまり意識せずとも、後に現実となって、目の前に現れる。





ギャンブルをやめ始めた頃、ナポレオン・ヒルの、





「思考は現実化する。」





を読んで、訳も分からないまま 笑、それを信じるようになったが、自身が何度も経験して来て、それを疑わないようになった。





「今はまだ見えませんが、一年後にはきっと今より良くなっていると、信じるしか有りません。三年後には、スロットの事なんか、思い出さない様に、なっていて欲しいです。五年後には、そんな事もあったよなーってくらいになっていて、十年経ったらやめた恩恵で、お金にも余裕が出てきて、やりたい事をやっていて、二十年経ったら嫁さんに、こんな事も有ったよなーと笑いながら話している。頑張れ自分。」






これは、破滅が見えた日に、泣きながら掲示板に書いた文章だが、そこから今年で十年になる。






当時はスロットをやめれば、全て解決すると思っていたが 笑、色んな課題を前に悩み、立ち止まり、その度に気付きを得て、乗り越えて来た。






ギャンブルをやめてからも、散財癖はなかなか治らなかったが、それもようやく、やめる事が出来た 笑






離婚後、子供達に仕送りはしているが、それ以外に400万以上使えるお金があるのに、何故、いつもお金が無いのだろうか?と、改めて生活を見直してみると、実は、お金が有る事に気が付いた 笑





散財をやめない限り、いくらお金が有っても足りず、やめれば問題無く生活が出来る。






当たり前の事で恐縮だが 笑、ギャンブラー時代の金銭感覚はなかなか治らず、それを改め始めると、お金に余裕が持てるようになった。






今の金銭感覚のまま、長男への仕送りが来年で終わると、更に余裕が持てるようになる。






これも掲示板に書いた通りであり、脳は、自分が強く思い描いた事を現実化してくれるのだろう。






そんな事を考えていると、十年前に書いた文章の最後に、「嫁さんと〜」と書いているが、これは何を示しているのかが、気になり始める 笑






二人の元嫁さんのどちらかと、よりを戻すのだろうか?





はたまた、新しいパートナーが現れるのだろうか?





自分が十年前に書いた文章に、トキメキを感じている自分を、少しロマンチックに感じた。