最近、あまり怒らずに過ごせる様になった。







以前、アンガーマネジメントの本を読んだ頃、確か7、8年前は、毎日の様に怒りまくっていた時期で 笑、怒りを抑えたいと考えて本を読んだのに、ろくに読まないまま、







「なんで、いい子ちゃんになって、怒りを抑えなあかんねん💢 それは、マネージャーとかが扱いやすくしたいだけやろ💢」







と、更に怒っていた 笑笑







ただ、怒りや憎しみ等の負の感情を抱くと、自分がしんどくなるので、何とかしたいと言う思いはあった。







怒りには様々なパターンがある。







理解出来ない嫌な事を、人にされた時に怒る。






全く知らない人が、マナーやルールを無視した行動、例えば煽り運転などの危険な事をした際にも怒る。






仕事を優先するあまり、責任感が無い言動をしたり、結果を追求しようとしない人に対しても怒っていた。






他には、道徳感が欠如していたり、人の道を外す様な人や事に対しても、怒りを感じていた。






テレビの中の、例えば特○詐欺の人が、老人を騙して何千万円を奪い取るニュースなんかを見ても、一々、腹立たしくなる。







目の前の人に明らかに嫌な事をされ、怒るのは仕方が無いとしても、そんな事は普通に生きていればあまり遭遇しない。







殆どは、自己中心的な考え方や視野の狭さ、責任感の無さや幼稚さ、雑な考え方に対する怒りであり、そうした怒りを抑える事が出来ずにいた。








嫌な事をされたら、「やめてください!」と言えば終わりであり、相手にも嫌がっている事を伝える事で、繰り返す事は無くなる。







人の考え方や幼稚性などに対する怒りは、うまく伝わらない事が多く、更に腹を立ててしまっていた。






思い出したが、うまく立ち回る人、保身ばかりを考えている人にも、よく腹を立てていた 笑







とにかく昔は、怒ってばかりいた 笑





怒りの持つパワーは凄まじく、一度怒ると、他の事が考えられなくなる。







「アイツは自己中な事ばかり言ってて、今にとっちめてやろう💢」






「アイツは何にも考えてない💢 どうやって、分からせてやろうか😡」







怒りから、人を嫌いになる事も多かった。







嫌いになれば、全ての言動が鼻についた 笑







「彼はズルい人だからね。ほらまた、立ち回ってるよ。」





「アイツは責任感が無いからね。今回のケースでも、どうせ…」






人を嫌いになると、更なる妄想を呼び込む。






「彼はズルい人だから、立ち回ろうとして、上にうまく言うに違いないよ💢」






「あれは責任感が無いから、さっき話した事も、誰に話されるか分かんない。気をつけよう。」






人の深層心理や、もしかしたら本人も気付いていないであろう、潜在的な意識の深読みも、よくやっていた。



 



警戒心が人一倍強く、それによる妄想を抱いてばかりいたように思う 笑






勝手に怒っては、妄想したり、それを笑いに変えたりしていたが、そんな事にパワーを使っているのは、すごくしんどかった。







それに、人の裏ばかりを見ている様な自分も、嫌だった。





人に対する理解を進め、俯瞰で見ることをする様になり、更には、人は自分とは違うと言う事を理解し始めるようになると、そうした怒りは軽減して行った。






人をベキベキと追い詰める事もやめる様になった。






俯瞰で見て、







「彼は経験が少ないから、まだ分からないのだろう。」






「粗い運転をする人だが、技術的にヘタなんだろう。もしくは、どうしようも無い理由で、急いでいるのかも知れない。」






「彼はまだ年が若く、自分と同じ目線でもの事を見られないのは、仕方が無いのだろう。」






そうした考え方を取り入れるようになると、相手を理解出来るようになり、怒りは減って行った。






嫌な人に会うと発せられていた警戒心も、ある頃から、それは妄想でしか無く、仮に実際目の前で起きたとしても対処出来る自信がある事を理解すると、あまり警戒心を抱かなくなった。






一度、人に嫌な事をされると、ずっとその印象は悪いまま変わらならなかったのだが、それも最近では、人は変わるものと考えられるようになり、あまり過去の事で決めつけないようになった。






数年前から、嫌な事があった際には、






「それはやめて欲しい。」







と、怒りの意思表示をはっきり伝えるようになった。





そうした変化によって、最近は、突発的に怒る事はあっても、それを引きずらなくなった。




何より、怒らなくなった事で、良かったと感じている事がある。






こちらが、どんな理由であれ、怒ったり、警戒心を持って人と接していると、相手にもそれは伝わり、うまくコミュニケーションが取れなくなる。






相手は聞く耳を持たなくなり、伝えるべき事も伝わらず、互いに、話す事、視界に入れる事すらも嫌になってしまう。







怒りから人を嫌いになれば、更なる妄想を呼び込んでしまうが、最初に、突発的に怒るのは仕方が無いとしても、嫌い→妄想に入る段階で、それを意識的にやめてみる。






更に、少し時間が必要だが、逆に相手を好きな人だと思い込んでみる 笑






「会社では嫌な人やけど、多分、仕事を離れたら、いい人なんだよね。」






「会社から追い詰められて、やいやい言ってるけど、本人もやりたくないんだろうな。」






時に、怒りがおさまらない時には、






「自分も悪く無いけど、彼も悪い奴じゃないよ。」






と、無理矢理決めつけてみると、怒りがスーッと引く様になった。






そうした事によって、とにかく人とのコミュニケーションが取りやすくなった。



怒りを持っていると、






「若造が!!何を抜かす😡」 笑






となるが、怒りを無くすと、






「若いから、経験が無いのだろう。経験の無さを隠すために、虚勢を張っているのだろう。なら、うまく足してあげよう。」






となる。







ただ、本能による怒りを、理性による理屈で抑えるばかりでは、うまくいかない場合もある。






どうしても怒りがおさまらない時には、自分がしんどくなっていく。






そんな時は、







「そろそろ折り合い付けようや!!」






と自分に向かって言ってみる。






怒りが持続している時はしんどくて、それを解消するためには、相手にぶつける事を我慢出来なくなり、以前は実際にそうして折り合いをつけていた 笑






ただ、どう言う理由であれ、相手が謝ったとしても、こちらはスッキリするが、やはり、少なからず遺恨が残ってしまう。






最近は、俯瞰目線で考え、上記のように対処出来る様になった。






このやり方なら、遺恨は残らない。






自分の未熟さに気付いた相手から、期待してはいないが、後から感謝される事もあるかも知れない。






感謝はなくても、少なくとも遺恨は無い。







5、6年前までは、怒りまくっていた自分 笑







理性による理屈で抑え込むばかりでは、自分を我慢させていて、ストレスが溜まってしまう。







ここ数日、理性、本能、俯瞰、仰視、それぞれの目線から、一体、どうすればいいのかと考えていたのだが、突然、気付きが訪れた。







解決したのは、なんと「愛」だった 笑笑



もしかしたら、50歳にしてようやく、「愛」に目覚めたのかも知れない 笑






まるで自分の子供に接するように、愛や包容力を持って接する。






理性による理屈で抑え込むのでは無く、愛し、包み込むイメージを持てれば、そこに理屈など要らなくなる。







理屈で自分を抑え込んでいると、どうしても、相手にも理解を求めてしまう。







それが出来ないと分かれば、諦観するしか無く、人に対して諦観してしまうのは、あまりいい事だとは思えなかった。







昨日、そんな気付きが急に訪れ、その感覚を確かめるように周りの人について考えてみると、今までは、いい所、悪い所と、理屈で人を見ていた事が分かった。







改めて周りを見てみると、全てを含めて愛おしく思える 笑







なんだかよく分からないが、これまで感じた事が無いような、とても穏やかな気持ちになり、感謝の気持ちや嬉しい感覚が、心を満たしていくじゃないか♪







まだよくわからないが、とても心地が良い、不思議な感覚に包まれている。





最近、コロナ禍や仕事関係の事で、少しイライラしたり、不安定な気持ちで過ごしていて、過去の

ブログを読み返してみると、ここしばらくの間、新たな気付きに恵まれていないと思っていた。







しばらく悶々と過ごしていたが、逃げ出さずに、向き合っていれば、今回も新たな気付きに恵まれた♪






これは余談だが、愛を与え、包み込むのなら、やはり、女性の方がいい 笑






同性であれば、少なくとも年下じゃ無いと、しっくりこない 笑






それはともかく 笑、久しぶりに訪れた、新たな気付きに感謝したい。