準決勝に勝った私たちは、父親が親しくしていた試合会場近くの旅館の広間を借りて休憩と昼食を済ませ、午後からの決勝に臨んだ。対戦相手はその年の春の大会、それと当市と隣市に於ける春の大会で決勝に進出した合計4チームが参加する沿岸大会のいずれも決勝で負けていた宿敵第一中学である。その第一中学には、それまで対戦したチームのように超中学級の投手が居る訳では無かったが試合が終われば負けている…という感じの試合巧者だった。

 

初回、幸先よく1点を先取して「今日は行ける」と油断してしまったのか、その後は何度か訪れた追加点のチャンスをバントのミス等による拙攻で潰していると、4回の裏に同点に追いつかれた。その後は両チーム共に追加点が入らない緊迫した試合展開となり、延長12回で規定により引き分け再試合となった(山田くん:12回1失点完投)。この連続する2日間で既に山田くんは3試合で26イニングを一人で投げていたにもかかわらず、その翌日の午前中に行われる再試合にも先発することについて私は何も不思議に思わず当然のことと思っていたのだから、今思えば恐ろしい…。その時、山田くん本人はどのように思っていたのか聞いてみたいなぁ。

 

決勝の再試合が始まった。前日は延長12回だったので私は6回打席に立ったが僅か1安打(しかも単打)、そしてこれがこの大会を通じての初安打だった。3番打者がこの有り様ではチームの得点は伸びないはすだ…。

 

初回、相手のミスもあり無死1,2塁のチャンスで私に打席が回ってきた。今大会を通じた私の成績から、私が送りバントでランナーを進め、捕手で4番の種田くんに回すかもしれないと思っていたが、河東監督からそのサインは出なかった。初回だったから、ということもあったと思うが、打たせてくれたことが有難かった。