今はどうか分からないが当時は毎年8月最後の日曜日に「民話のふるさと」と呼ばれる街で開催されるロードレース大会があった。いくら東北とは言え8月の後半でもまだ暑く好記録は望めない。そのせいか特にハーフマラソンの部に参加する選手は少ないので、当時40才(約25年前)の少し手前だった私でももしかしたら年代別の枠が無いこの部門でも10位以内で賞状を貰える可能性があるかも、と思って参加したことがあった。

 

当日は予想通りに朝から暑かった。ウォーミングアップもそこそこにしてユニフォームに着替えようとしていたら、受付時間ぎりぎりに滑り込むように手続きをしている選手がいた。同級生の八重樫くんだった。彼は県中央部の私立高校で長距離選手として活躍後、地元の企業に就職して競技を継続し青東駅伝の県代表選手としても何度となくその健脚を披露していた。そして第一線を退いた後も息の長い選手として活躍している尊敬すべき選手である。高校時代から彼とは話をしたことは無かったが大会等で顔を合わせると「よぉ!」と言う感じで挨拶はしていた。浅黒い精悍な顔つきで口を尖らせながら若干首を右に傾げて走るが、そのランニング姿は私と違ってとてもスマートだった。

 

最高気温は30℃に達したので我慢比べのようなレースだった。スタートとゴール以外は、ほぼ猿ヶ石川の川沿いを走る平坦なコースとなっていて季節が良ければ近くに綺麗な桜を見ることができる、…がそんなことを考える余裕も無く出来ればあの川にそのまま走って行って飛び込みたいという気分に駆られながら走っていた(奥羽横断駅伝の千葉さんのように)。ラスト5キロ辺りから市街地に入る手前までの間に5~6人を抜いたので、このまま我慢できれば入賞できる可能性は高いと信じ最後の力を振り絞ってゴールを目指した。するとゴール後に受け取った着順カードには「9」と書かれていた。ふぅ~何とか症状を貰える…と思いながら大会側が準備していたポカリスエットを浴びるように飲んだ。