Gapと言っても衣料小売店のことでは無いし、シドニーのサウスヘッドの断崖絶壁のことでも無い。

 

先日「街角ピアノ」という番組で、昨日まで載せた「Q.V.B.」が舞台となっている放送回があったが、私がそこを訪れて地下から地上3階までを隈なく見て回ったときにはピアノを見た記憶が無いので、その後に置かれたのかもしれない。この番組は私のお気に入りのひとつであり、その理由が「Gap」である。「上品」「育ちの良さ」等のイメージがあるピアノとは全く縁も無さそうに見える人が、いざピアノの前に座って弾き始めたら…という見た目から受ける印象と実際とのGapが大きければ大きいほど、これこそがカッコいい人だと憧れてしまう(独学でなんてことなら尚更)。でもそれが子供の場合で且つ悦に入って弾いているのを見ると何故かちょっとイラっとしてしまうが…。

 

自分の過去に於いてもカッコいいと思う人に出会ったことは何度かあった。

 

高校2年に上がる少し前に陸上部へ入部したその4ヶ月後、普段は卑猥な話や面白くない冗談ばかりを言っていた先輩が高総体の県大会で他のエントリー種目を棄権して800M一本に絞り、決勝のラスト80Mでライバルとの一騎討ちを見事に制した。

 

高校3年の東北大会で1,500MSCのチャンピオンになった戸ノ内君がウォーミングアップで身に着けていたのは、最新のジャージでは無く、高校入学時に全員が購入或いは学校から支給されたジャージで、それには背中いっぱいに学校名と学科それと名前が書かれた布が縫い付けられていた。

 

社会人1年目のTOEIC(満点:990点)の試験で私が278点、同じ試験で見た目も含め若干痛い系の先輩が実は私の3倍弱の点数だった。

 

これも社会人1年目、昼夜を問わず一緒に遊んでいた友人が実は箱根駅伝の1区の区間記録保持者だった。

 

その事実を知った瞬間から、その人たちがとてもカッコよく見えるし、涙が出そうな程感動する時もある。だから私は昔からGapのある人への憧れがあったのだと思う。その私と言えば見た目は十分にそのGapを作りあげられる程の素質はあるが、如何せん中身が無い。人生の折り返し地点はとうに過ぎているが、残りの人生の中できらりと光る何かを身に付けて自分のことをカッコいいと思ってみたいものだ。