帰国便はどこを経由しても構わない、と言われたので色々と迷った結果トランジット時間の最も長い(7時間)ロンドン経由とし、ロンドンから成田へは日本食を食べたかったのでJALにした。

 

シラーズからロンドンのヒースロー空港までは直行便だったと思うが、その時の記憶が全く無い。覚えているのはイラン出国時の検査でスーツケースを開けられバザールで購入した3枚の絨毯を持って行かれたことだ。手続き不足で没収されたのかと思ったら、その担当者は小さめの用紙を持ってきて「必要事項を記入して一番下にサインをしろ、そうすれば返してやる」とうことだったので、それに従ったらその通りスーツケースの中へ戻してくれた。良かった~!

 

事前に加藤さんと二人で調べていたチープな情報に沿ってヒースロー空港からロンドン西部のパディントンまで鉄道で行き(車窓から見える景色は緑豊かでノンビリとした雰囲気だった)、そこで食事を済ませ(味がぼんやりとしていて値段の割に感動は無かった…)そこから地下鉄に乗り換えて市内観光へと向かった。限られた時間の中で、テムズ川沿いを中心に「ビッグ・ベン(時計台)」「タワーブリッジ(テムズ川にかかる跳ね橋)」「ロンドン塔」そして「バッキンガム宮殿(衛兵交代式は見られず)」と正にお上りさん状態。そして時間に追われるようにしてヒースロー空港へ戻った。

 

こうして加藤さんとのイラン出張は終わった。その後、加藤さんには会ってないし、その時の加藤さんの勤務先も今では無くなってしまったようだ。でも、あれだけの固有技術を身に着けている加藤さんなら今でもどこかで元気に暮らしてしているに違いない。あれから30年弱、イランの人達は元気かなぁ…。自分が元気なうちにもう一度彼等に会いたいなぁ…。

 

帰国して間もなく、ドーハの悲劇でワールドカップアメリカ大会の出場権を逃したサッカーの日本代表は、フランス大会へのアジア地区の最後の出場権を賭けイラン代表とのプレーオフを戦った。そしてそれに勝利し(ジョホールバルの歓喜/野人岡野のゴールデンゴール)、アジア第3代表としてワールドカップ初出場を果たした。その瞬間がイランへの出張期間中じゃなくて良かったなぁ…と思った。