幼少期の私は、とにかく母親が怖かった。そりゃそうだろう、それ程までに几帳面な性格であれば、私のやる事なす事の全てが基本的にいい加減なのだから気にならないはずが無い。一番怖かったのが、知り合いの家に一緒に遊びに行って私が何か悪さをしたときに背後から私だけに聞こえてくる「帰ったらな!」という言葉だった。そして無言のまま連行されるようにして自宅へ戻り、説教を食らうのだった。

 

ある日曜日の朝、目を覚ましたら誰もいなかった。いつものように布団を畳んで押し入れに運んでいたら、その布団の端がテーブル上に置いてあった魔法瓶(外瓶と内瓶の二重構造になっていて内瓶がガラスのような材質)に引っ掛かって床に落ち、内瓶が粉々に壊れた音がした。両手に布団を抱えたまま、暫くその場に呆然と立ち尽くしていた私は母親への言い訳を一生懸命に考えたが、名案は全く浮かばなかった。これは間違いなく「獄門」に処されることを確信し、幼くしてその後の人生をあきらめかけた時、母親が外出先から帰って来た。

 

せめて「島流し」程度への減刑を願って即座に自首を試みたところ、母親は何も言わずその魔法瓶を片付けて燃えないゴミへ出せるような処理をした。これは自首の効果が期待以上で「江戸払い」更には「百叩き」程度まで減刑される可能性がでてきたのかも…、昼を過ぎても夜になってもその量刑の宣告は無かった。そして翌日、学校から帰宅してみると真新しい魔法瓶がテーブルの上に置かれていて、その後も何事も無かったかのように毎日が過ぎて行った。そのまま一週間ほどが経過した頃、私はこの犯罪については「無罪放免」になったのだと確信した。私が壊したのがかなり旧型の魔法瓶だったので、恐らく母親も新しいのが欲しかったと思っていたちょうどその時だったのかもしれない。

 

罪を犯してもお奉行様のお心次第では無罪放免になることもあるのだ、という良くも悪くもとれる経験をした。