父親のことを何件か書いたので母親についても何か書こうと思ったが、母親については彼女の走る、というか急ぎ足の姿さえ見たことが無いし、それ以外の運動に関する記憶も一切無い。強いて挙げれば身体がとても柔軟だったことだ。足を伸ばして床にペタリと腰を下ろし、右手で左足を鷲掴みにして左手で左足の膝を上から押してその左膝を伸ばす作業を、(勿論逆足も含め)易々とやってのけていたので、かなり柔軟性は高かったと思う。

 

母親のことで思い出すのはコレクションだが、お気に入りの何かを購入して収集するということでは無い。母親は、私がこれまでの人生の中で出会った人の中では、恐らく最も几帳面な人ではないかと思う。いただき物等の包装紙やペーパバッグは糊残りや破れが無く丁寧にテープを剥がし、綺麗に折り畳んでサイズごとに所定の場所へ保管しておく。私からすれば見事なまでのコレクションだ(母親の名前の一部を充てて「スエコレ」と呼んでいた)。それ故、そのようなものが必要になった時には困ったことが無い、困るとすればどれを使えば良いのか迷うことだけだった。当然ながら、それ以外のタオル系、寝具系、食器系に至るまで同様の状況である。使用頻度が低い電気製品は調理系も含め、使用後には綺麗に汚れを落として毎回必ず購入時の外装箱(化粧箱?)へ戻して所定の場所へ戻しておく。それ程までに物を大事に扱っていた。

 

そんな母親を見て育った子供はさぞかし几帳面な大人になっていることだろうと思うでしょうが、豈図らんや私のようなズボラな人間になってしまう場合もある。子育てとはかように困難極まりない。