アンチ・ホワイトバンド
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北京五輪聖火リレー in 長野

いよいよ明日です。



自由と平和

アルピニストの野口健さん


野口さん



野口健さんのチョモランマ清掃登山、

中国政府から許可下りず・・・ルート変更へ


アルピニストの野口健さん(34)が19日に予定していたチベット側からの
チョモランマ(エベレストの中国名)の 清掃登山を、
ネパール側からのコースに変更したことが1日、分かった。
北京五輪の聖火リレーが山頂を目指すチョモランマに、
ゴミがあることを認めたくない中国政府から許可が下りなかったという。

野口さんによると、過去2回のチベット側からの清掃登山で約8トンのゴミを回収した。
野口さんは「公にしない姿勢は大いに問題がある」と話している。




野口健さんブログ


2008年03月21日
北京オリンピック~チョモランマからの悲鳴~



2008年03月22
チベット動乱~北京五輪出場への条件~



普段TVではひょうきんな少しボケキャラな野口さんだけど
漢(おとこ)ですな!
尊敬しました。
しかし・・・


「ゴミがあることを認めたくない」


呆れて物も言えない。



中国軍の兵士数百人が僧侶姿に変装していた

中国軍の兵士数百人が僧侶姿に変装していた


※この写真は2003年当時の写真という話もあります。

 私自身はその確認はしていませんが

 過去に於いて「何をしてきたか?」という事も

 今現在を知る上で重要な判断材料の1つかと思います。

 また、YouTube等の動画サイトにもラサのデモの時や

 デモ後の市内が平静であるような

 「中国の自演疑惑」動画もあるようです。


変装

Tibetan Anthem

Tibetan Anthem

World Must Save Tibet against Evil China



中国領 日本自治区

日本はもう中国の1部だから

チベットであった事は話せないんだって!!



怖いねぇ




チベット国旗と日本

はい、チベットの国旗です。
「雪山獅子旗」と言います。


Flag_of_Tibet



実はこの国旗は日本と深い繋がりがあります。


青木 文教(あおき ぶんきょう、 1886年(明治19年) - 1956年(昭和31年))は
日本のチベット研究者、僧侶で仏教大学(現・龍谷大学)大学院生の時にチベットに派遣される。

滋賀県安曇川町の浄土真宗本願寺派末寺正福寺の生まれ。
仏教大学在学時の1910年(明治43年)、西本願寺法主・大谷光瑞の命でチベットに派遣され、
1912年(大正元年)にラサ入りを果たす。
多田等観とともにラサに滞在し、チベット仏教を研究し、チベットの国旗をデザインする
(これに関しては※矢島保治郎が行なったとの説もあるにはある)
また、チベットを離れる最後の一夜はダライ・ラマ13世と就寝したなど、深く現地に溶け込んだ。


矢島 保治郎(やじま やすじろう、1882年(明治15年)8月23日 - 1963年(昭和38年)2月13日)は
日本の探検家、軍人。四川省からのルートで初めてチベット入りした人物であり、
ダライ・ラマ13世の厚遇を受けてチベットの軍事顧問に就任した。


 (以上 Wikipediaより)


当時からチベットは、清から政治的な干渉を受けていました。
民族独立を果たしたいという願いと
日本の日露戦争や日清戦争での活躍に憧れを抱き
日本の「旭日旗」に着想を得て作成してたという話です。



t&J


また・・・


太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、
チベット政府から大量の羊毛が送られてた
来ました。その理由はただ、
「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」でした。
戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、
日本との国交は変わらず続けられていました。
当時の日中戦線において、中国はアメリカから武器弾薬等を
ビルマ経由で輸入していましたが、このルートが日本軍によって絶たれた後、
連合軍側はヒマラヤ越えのチベット・ルートを開こうとしました。
しかし、先代のダライ・ラマ13世は
あくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な
要求にも断じて応じませんでした。
このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に
悲劇をもたらす結果となりました。
1945年8月15日・・・日本の敗戦です。
日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で
「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。
その後、戦勝国によって「国連常任理事国」が結成され、
中国もそのメンバーになりました。これが更なる悲劇の幕開けでした。


http://homepage3.nifty.com/~dennoji/t_gallery.htm



政治家や官僚、企業は己の私利私欲に走り
私は今の日本はある意味

「金と欲を頂点とした社会主義国家」に変貌してると思っています。

不器用だけど義理人情に厚かったりする気質は薄れてるのでしょうかね?

慈悲と修羅2

慈悲と修羅

あれからの活動内容

前々回の記事UPが2005.12.09 ですから
約半年が経ったわけです。

その間のWB活動に関する簡単な活動経過はと言うと・・・



2005/12

・WTO閣僚会議閉幕
   ※WB事務局曰く
    「私達の仲間が世界貿易の公正化に向けて活動しています・働きかけています」も
    結果は散々。各国の綱引きで終わり。
   
  ・「ほっとけない」10DAYS 
    ※世間の目がWBに対して懐疑的になってしまってるので
     内輪で盛り上がって終わり。


2006/1~5

  ・大学でのセミナー、その他イベントを中心とした啓蒙活動。
  
  ・2/1 キャンペーン運営体制改編の
   ※「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーン実行委員会
    +㈱サニーサイドアップの運営体制を
    「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーン・ガバナンス委員会に改組。


    ㈱サニーサイドアップ 次原社長名前を残すも
    ㈱サニーサイドアップの名前を意図的に遠ざけようとする思惑か
    
(これは後々、次原社長が「ほっとけない 世界のまずしさ」から
     うまくフェードアウトする為の布石となる)


  ・2/14 人材募集として「政策プラナー」と「事業プラナー」を募集。
   ※あらあら?今頃。人材難ですかね?


  ・3/28 ウェブ・プロデューサーとウェブ・デザイナーを各1名募集。
   ※こういうのは㈱サニーサイドアップが得意なのでは?
    あ、また係わったら抜け出せなくなりますもんね。


  ・第三者委員会の設立と第一回会合
   事務局曰く・・・
   「これまでおよび今後の資金使途やキャンペーンの運営に関し、
   第三者性および公共性、透明性(情報の適切な公開)
   などの説明責任を十分に確保するための助言を求めるべく、
   第三者委員会を発足させました」

   ここは後々じっくり記事にします。


  ・アドボカシーに関するプロジェクト案件を募集
    /みなさまのアイデアや企画、募集しています

   *出版企画、編集企画
   *文字、映像、ゲーム等の開発教材企画
   *ライター、撮影隊編成
   *貧困に関する視察・取材のアレンジ

  
   ※他力本願ですか?
    おまけに5月には「政策担当スタッフ」まで募集しています。
    忙しくて人が足らずに募集しているのか?
    愛想を尽かして人が辞めてるので募集してるのか?
    ま、どちらにしろこの次期にそれも「一般募集」というあたりが
    計画性の無さをあらわしています。


ほんとうに簡単ですがこんなところでしょうか・・・


 私の否定的なコメントはオマケですが(笑)


 しかし「ホワイトバンド賛美なブログ」もかなり減りましたねぇ。

 今となって思うのは
 そういうタイプの人は
 一言で言うならこんな感じでしょうか?


 「恋人に振られた事をいつまでも否定したくない」
 「あなたを振ったあの人はそうとうのワルよ!」と友達に言われるも
 「いや、あの人は本当はイイ人なの!あの人との思い出は何にもかえ難いもの」
 と、冷静に周りを見れないタイプに多いようです。


そういう情熱はわからなくもないです。


次回は私がこのブログをやっている最中に
「協賛企業」に対して思った事を書きたいと思います。

ご無沙汰です。

自身の仕事の事だったり、体調の事だったりで


長い間ブログの記事を更新していませんでした。


少しづつですが


この間、考えていた事や


最近思う事を徐々にお話したいと思います。

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