先日、急遽ずっと行きたかった島根県(出雲大社)へ行けることとなりまして。
ですが夕方に決まって、その日の晩に車で出るというバタバタ具合で(身内はある程度、出雲大社を勉強済み)殆どなんの準備もできぬままの出発となりました。
行くことが決まった日のT月はT海王星・土星コンジャンクション
現地についた頃にはT月はNアセンダントとコンジャンクションになっていました。
普段T月はあまり見ないのですが、『急遽決まった個人的なこと』というと動きが早い月は、まぁ参考になるかな…ということで。
(人生に影響するような大きな規模のことではないので)
私の両親の田舎は島根県で、義母も同県の出身です。(母親同士は同じ学校の同級生。学科は違ったので学生時代に接点はなかったようですが)
ということで私と身内の『田舎の話』といえば、お互い島根県の話になります。ですが同じ県とはいえ、全く土地は違います。
なので身内から聞く『田舎の話』で頭に思い浮かべるのは、あくまで私の想像上の場所となります。
ですが今回、出雲大社を早朝に回れたため時間ができ、身内の田舎を回ってみようということになりました。そして実際に『現地』に訪れてみると、それは想像とはやはり全く違っていて。
不鮮明だったものが鮮明になった今、身内から『田舎の話』を聞くことがあれば、今後は実際の風景が私の頭に浮かぶのでしょう。
おそらくは実際の景色を知る前に思い描いていた不鮮明なイメージのことは、いつしか忘れていくのだろうと思います。
そう考えると少し寂しいような気がしますが、そんな気持ちすらも忘れていくのかもしれません。
これは丁度今起きている『土星と海王星のコンジャンクション』のような話だなぁ、なんてことを感じたりしました。
実際に現地に行けると思ってもみなかったので行けて嬉しかったし、「こんな場所だったんだ」という感動もありました。けれど現在は誰も住んでいない義母の実家を目の前にすると、現実的な寂しさもあったりして。(話には聞いていて現状は知っていたけれど)
知ることで得られるものは沢山ありますが、知ることで消えていくものもあるのだなぁと、そんなことを思いました。
海王星的な形のないイメージは、そういったことの最たるものであるのかもしれません。
現在、私の12ハウスを運行している土星と海王星コンジャンクションを通して、そんなことを体感したように思います。
T月がアセンダントを通過して、『田舎』の姿がハッキリしたというのもまた、上手くリンクしているような気がして。
なんの準備もない急なバタバタ旅行ではありましたが、動きの早い月が『そのタイミング』だったのは偶然なのか必然だったのか。
『月』であるため、それに理由付けをして鮮明にするか、理由は追わずに不鮮明なままでいるか。
それは自分の気持ち次第であるのかもしれません。
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【太陽と月】公にすることと、隠すこと
『ずっと永久に』は続かないマイブーム【月】



