12ハウスの形は人それぞれ違うのではないかと思います。

きっと中にあるものも、人それぞれ。

 

確かに存在はしているけれど、現実味がなく

例え目の前にあったとしても、本人以外はその存在に気が付かないかもしれない。

そんな少し不思議な12ハウス。

日頃は明るく元気な人にも必ず存在する12ハウス。

 

なんにもしない、ただ”ぼーっと”することが許される。なにかと時間に追われる生活の中で、なにも持たずにいられる。

そんな脱力感のある場所でもあるように思います。

 

 

 

 

 

 

『秘密』や『隔離された場所』というミステリアスな印象の強い12ハウスですが

公にはされていなくても、”もしも”の時にはそういった存在があると知っているだけでも

守られているような、どこか安心できる部分があるかもしれません。

 

ですが恐らくは”そこ”に長く滞在することはできないのでしょう。

いくら効能が良い温泉であっても、ずっと浸かっていると湯あたりを起こす恐れがあるのと同じで

一時的な避難場所とするのは良くても、やはり人はいつか現実に帰らなくてはいけません。

 

あくまでも現実があるから裏を持てる。

やるべきことや帰る場所があるから、人は安心して少しの逃避に出掛けられるのかもしれません。

 

目の前にいる家族の心の暗部は一緒にいても気付かないかもしれないし、

例え気付いたとしても、暗黙の了解で『そこにないもの』として見過ごすこともあるでしょう。

 

自分にも触れて欲しくない場所があるように、家族であっても同じように誰も入れないテリトリーを持っている。

皆なんとなく“形のない正体”の“掴めない空間”のことを認識しているのではないでしょうか。

 

でも『その場』のことを口にはしないのは

単純に『ただ、なんとなく』

 

表向きの形が整っていれば、日々の生活は難なく出来る。

だから相手が隠していることには踏み込まず、時には目を瞑ることも必要なのかもしれません。

 

 

 

 

 


時間や場所に縛られない12ハウスは自在で、それは自分の想像の中にあるかもしれないし、

机の上に広げた真っ白な自由帳の中にあるかもしれません。

 

生活必要時間を抜くと、毎日ほんの少ししか自分の時間が取れないことに絶望を覚えることもありますが、

通勤途中の満員電車の中でも、立ちながら脳内で12ハウスを広げることも可能ではあるのだと思います。

そうやって人は毎日を“なんとなく”やり過ごすことができている部分もあるのかもしれません。


ただ、自分を騙すことができなくなるほど疲れ切ってしまった時、逃避先の光に優しく誘われてしまうこともあるかもしれません。

 

そこで骨の髄まで癒されて現実を忘れてしまうのか、それはそれと日常に戻るのか。

定型やルールのない12ハウスでは、なにを選ぶのも自由です。

ただ深く入り込むと、もう周りの声は届かなくなるのかもしれません。

 

楽しい時間はあっという間に過ぎます。

自ら望んだ訳ではないけれど、結果的に竜宮城へ『逃避』し、玉手箱を受け取った浦島太郎は

取り戻せない時間と現実を目の当たりにして、どういう気持ちになったのか。

 

つまらないながらも現実に生きている私には知る由もありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢その他ハウス記事♦♢♦

 

1ハウスは選べない

2ハウスは容赦ない
3ハウスは立ち止まれない

4ハウスは永久ではない

5ハウスは偽らない

6ハウスは揺るがない

7ハウスは最後まで責任を取らない

8ハウスはいつまでもそばにいない

9ハウスは好奇心を閉じない

10ハウスは私情を挟まない

11ハウスは甘えてばかりいられない

 

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11ハウスを言葉で表そうとすると難しく、ネットを調べてみると

『友愛』や『サークルの中での交友関係』などがあがってくることが多いように思います。

 

…なのですが、11ハウスを表す言葉で私が一番しっくりくるのは講座で先生が仰っていた『信頼』という言葉。

これを越える表現ってないんじゃないかと思っています。

 

『信頼』って形があるわけではなく、明確な定義があるわけでもない。それでも”その人のために”動こうと思えること。

 

10ハウス以前から積み上げてきたものを持った上で、明確な枠組みから離れたあとにある11ハウスの示す『信頼』

それってどういうものなのか。

 

 

 

 

 

 

私の父の遅咲きの青春が来たのは50歳を越えた頃。趣味で釣りを始めたことで友達が沢山増えて、毎日とても楽しそうだったことを覚えています。

 

いつも仲間とは約束をするわけではなく、釣り場に行けば誰かに会えるといった感じで

会えた人と「キャッキャする」…みたいな、そんなノリだったようです。

 

繋がりは釣り。住んでいる場所も職業も年齢も皆バラバラ。

「毎週来い」とか「来れなきゃ連絡を」といった制限などもなく。

 

不思議なことに類は友を呼んだのか、父含め釣り仲間は自営業の方が多く

釣り以外の場面でも、それぞれの技術を交換するようなことも多々あったようでした。

(宝石商とかカメラマンとか特殊な人が多かった)

 

そこに金銭のやり取りは勿論あったのかもしれませんが、普段の関係性で成り立っているやり取りなんかもあったんじゃないかと思います。

 

 

当時私は高校生とかで、まだ両親の保護の元にいたため『父の娘』というだけで私も父の友人の力を借りることができていましたが、これは父がいないと成り立たないものでした。

なぜなら私と父の友人の間には『信頼』という実績がなにもなかったから

 

 

 

 

 

彼らの付き合いは長く、皆が年老いて釣りができなくなってからも

『青空の下で麻雀をやる会』に変更して付き合いは続いていました。

(健全なんだか不健全なんだか)

 

持ちつ持たれつで、どちらか一方が寄りかかるだけでない”大人”な関係だったから

長く続けられたんじゃないかと思います。

 

11ハウスは社会的な肩書など全く関与しない場所なので、その人が今までの人生で培ってきたもの、そして表情にも表れる生き様などに価値を置くことになるのだと思います。

 

それぞれが自立していて、持っているものを持ち寄って。

人任せにしていたり、社会的地位だけで生きてきた人は、考え方や行動を変えないと築けない関係性なのだと思います。

 

 

父がそれまでに積み上げてきたから出会えた方々だったのであろうし、得た幸せであったのでしょう。

まさしく11ハウスが『幸せ(願望)のハウス』と呼ばれる所以であるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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